気にしない。
気にしない。
気にしない〜!!
だけど、こんな気持ちとは今日でおさらばしたいから、ここに今思っていることを書きこんで
明日からはまた笑って過ごしたくて今文字を打ち込んでいます。
決してポジティブな内容じゃないので自分も「当事者」だと思っている方が読むことはおすすめしません。
※私自身が見てショックを受けた杉田議員が発言されている動画等を掲載しているので・・・。
まず、杉田水脈議員の何が問題となっているのかは、ハフポストのツイートに掲載されている動画を見たらわかるかと思います。
「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです。」国会議員が同性カップルは「生産性がない」と主張し、議論を呼んでいます。 pic.twitter.com/Il3PPUNJX3
— ハフポスト日本版 (@HuffPostJapan) 2018年7月20日
目次
私がショックを受けたのは「生産性」の部分ではなかった。
最初はあまり気にしていなかった杉田議員の発言。
・・・気にしていなかったというより、そこに感情を使うことが無駄だと思ってた。
だってさ、楽しいこと考えて楽しい事して過ごしていたいもん!!笑
幸せな事っていっぱいあるし、そこ”だけ”に目を向ければ幸せです。
大切な恋人がいて、理解してくれる家族や友だちがいてさ。
だけど、ツイッターに入ってくる情報や動画を見ているうちに、そんな穏やかな気持ちでいられなくなってた。
「生産性が無い」という発言が問題の中心にある気がするけれど、
子どもを産むことが「生産」だというのであれば、私自身にも生産性が無いということは否定できないし、その言葉で悲しくなることはない。
”生産性がない”という言葉がネガティブな意味だとも思っていません。
だけど、以下の動画で、
LGBTの知識を学校教育で教えるべきかどうかの意見について述べている時の、3人の雰囲気、自殺率について話している時の笑い声・・・・。
これが本当にきつい。
学校現場も行政も色々な課題があり忙しいことも知っています。
何よりグサっときたのは、その雰囲気や笑い声です。
気持ちがどよーんとする。
僕が4年前講演会を始めた理由。それは当時高2の大事な友だちが自殺をしたことがキッカケ。FTMであることを親にカムしたらボロカスひどいことを言われ、深いところまで追い込まれ、その半年後、命を絶った。今発言されている言葉、そのままでフラッシュバックしたわ。もうね、誰も傷つけないでほしい。 pic.twitter.com/0Z4ALi2XQR
— やまぐちしょういち/山口颯一 (@LRL_Shoichi) 2018年7月28日
杉田水脈議員なんて「どうでもいい」と思いたいけど思えない。
人って、生きていく中で価値観を様々な価値観を身に着けているわけで
きっと杉田議員があのような考え方を持つ背景も色々あったからなのだとおもう。
仕方ないよね、、色々な人がいるんだもん。
その人が悪いのではなく、まだまだそういう社会というだけだから。
って今まで思ってきたし、じゃあそこに自分自身がどうアプローチできるのかな?と考えてLGBTサポートチームココカラ!を立ち上げて行動してます。
地道に続けていくしかないし、これからもそうしていくつもり。
コツコツ動くことが大切だと思っているけれど・・・
だけどさ、今回は明らかに自分の心がそんな風に穏やかにいられなくなったわ。
間接的に胸をえぐられるような、そんな気持ち。
言わない限り・隠している限り直接的な「差別」は受けません。
だけど、”差別がない”わけではないよね。
差別がある事を知っているからこそ差別を受けたくないから隠してたし嫌われたくないから言わなかっただけ。
中学とか高校とかってセクシュアリティに関することが笑いのネタにされることって意外とあるわけで。
“おまえらホモかよ” “レズなの?笑”
等と、目の前に”いない“前提で、そんな会話がサラッと流れる中で生きていると、
「絶対に言ってはいけない。言ったら気持ち悪いって思われるし友だちがいなくなるかもしれない」という気持ちが出てくるし
私が唯一出来たことは、自分がそうだとバレないように一緒に笑うことだった。
(私も一緒に笑っていたことでその場にいたかもしれないセクシュアルマイノリティの方を傷つけていたはず・・)
直接攻撃されている訳ではないけれど、「それは変」「おかしい」「気持ち悪い」という会話の中で間接的に心をえぐられる。
今回もその時と同様に、杉田議員に直接言われたわけでもないけれど間接的に心をえぐられているような、そんな気持ちです。
また、杉田議員のTwitterのコメント欄には、私のように思ってる方もいれば、杉田議員を擁護するようなツイートもあります。
そこには差別的な発言も。
いやーーーー。色々な意見があるのは当然です。それはわかっている。
だけどそんなのを目にすると、どんどん気が重くなっていく。
(見なければいいのに、どんな議論があるのか等は知る必要があると思うので見てしまう。。。)
せっかく社会が少しだけ変わってきたと思ったのに、今回の杉田議員の発言で
“やっぱり、自分のセクシュアリティのことは誰にも言えない。つらい”
って一人で悩んでいる人が、もっと苦しくなるのが本当に嫌!!
悔しいです。
怒りというより悔しい。
だからこそ、今「おかしい!」と怒っている人が動くことで
いまひとりで悩んでいる方は心救われるのかも。たとえ間接的であっても。
抗議集会でお話されている方を動画で見たけれど、かっこいいなって思いました。
私自身は、議員辞職してほしいとまで強く思っている訳ではないです。
あれだけ多くの方に非難・暴言を吐かれている杉田水脈議員が、現在どのような気持ちでいるかはわからないし
落ち込んでいるのかも、全く気にせず平気でいるのかも知りません。
ただ、あなたの発言が多くの人の気持ちを暗くさせたことに気が付いて欲しい。
あれだけ堂々と発言するということは誰にもできることではないと思うからスゴイなぁと思う。
だからせめて他者の胸をえぐるようなこと”ではないこと”に使って欲しいんです。。。
うん、なんかそれだけです。。。本当に。
自分が嫌になった数日間。
私自身も、ここ数日はセクシュアリティのことを考えるのも嫌になり
「レズビアンじゃなかったら」
“結婚して子どもを産んで家庭を持つ“ というハードルがこんなに高くなかったのに・・・
「レズビアンじゃなかったら」
自分がしたいことに思いっきりコミットできていたかもしれないのに。。。
そんな風に「レズビアンじゃなかったら」という前提を置いて
10代の頃のように自己否定をするようになってた。
あーーーーーー、もうなんで私は異性を好きになれないの?って。
普通に結婚して子ども産んで、自分の子どもと母があそんでいる姿みたかったなぁ。。。
そんな無い物ねだりを本気でしちゃうような、自分。
いつぶりだよ。笑
10代の頃にはよく思っていたけれど、今更そんなことを思う自分自身にびっくり。
自分のそんな発言は、今、大切に想ってくれているパートナーも否定する言葉ですよね。。
暗い気持ちとも今日でおしまい。
8月はLGBT関係の講演が多くあります。できるこどだけコツコツして、笑顔で進んでいけたらいいな。
どんな発言が他者からあろうが、自分自身は自分を大切にすることを忘れないようにしなきゃね。
「怒る」のは「期待」があったから。
政治利用だとか色々な意見が飛び交っているのも見たけど
そもそも、こうやって世の中が「怒ってる!」「それは人権侵害」だというように声をあげられること自体がすごいことです。
私が自分のセクシャリティを自覚した1987年はまだ、同性愛は病気でした。たまたま見た家庭の医学に病名として同性愛が載っているのを見て、どの位ショックを受けたか。それから30年余り、声を上げ続けた人のお陰で今があります。先人の犠牲の上に生きている事を忘れたくないです。
— まゆみ (@nejimakidori67) 2018年7月28日
1987年といえば、私の産まれた歳。
私のセクシュアリティを知った時に、今はよき理解者である母が「病院につれていく」と言ったのも無理ない。
きっと、そういう時代だった。
それがいろいろな方が声を挙げてきて叩かれたり批判されながらもそれを続けてきての「今」なんですよね。
私は幸せだと思います。
「もっと、もっと!」を追い求めたら思うことは色々あるけれど、それでも幸せだと思う。
今、多くの方の中に「怒り」があるのは、明るい未来への「期待」があるから。
嘆きや、落胆だけじゃないことは救い。
実際に自分も微力ではあるけれど声を出すようになって気が付いたんだけど、意外と精神的にきつくなることが多くて
杉田議員のように思っている方もいる・差別をする人もいる中で自分を見せて話すことはまだ少しだけ怖い。
今の時代でもそうなのだから、以前からされている方って本当にすごいなぁと。きっと私にはできないだろうなぁと・・。
そうやって活動されてきた方の想いを嘲笑うような発言はあってはならないと思う。
ここに書いたコト、気持ちの良い内容ではないから、いつか消すと思う。
いろいろな意見があるのは知ってます。
それでも自分はこう感じたんだ!っていう気持ちを書きたいと思ったので、書きました。
おしまい。
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