「あたたかさ」のバトンを繋げていくこと。

カラフルですごくすごくうれしいことがあったので、ブログを書き始めています。

自分の記録としてでもあるけれど、誰かに伝えくて。

 

2018年10月4日にオープンした、みんなのいえカラフルは月300人以上の方が出入りする場所になりました。

差別や偏見のないあったかい地域を作りたいな~

子育てがしやすい地域を作りたいな~

”孤独”を感じない地域を作りたいな~

発達がゆっくりなお子さんの支援ができたらな~

 

書ききれないくらいの想いがあるのですが

その中のひとつが川口さんの想いを繋ぐこと。

 

川口さんというのは、みんなのいえカラフルの持ち主で

改修費を負担し、5年間は家賃無料にしてくださったオーナーさん。

 

現在は80歳を超えているのですが、竹田にある社会福祉法人やまなみ福祉会を立ち上げられ、理事長もされた方。

当時、制度もまだ不十分でお金がない中、

ようやく作業所として使わせてもらえる場所を探し・・・・

こんな場所でできるわけがない!と思いながらも、プレハブ小屋を作りそこで作業をはじめた。

給料は月6千円。そしてその場で3千円を寄付していたのだそう。

みんなで畑を耕し

野菜を育て竹田の色々な場所に売りに行った。

悔しさややるせない思いもたくさん抱きながらも、楽しく前向きに進んできたのだそう。

それが「社会福祉法人やまなみ福祉会」の土台を築き

現在は、就労継続支援や自立訓練、グループホーム等も運営している。

 

そのやまなみ福祉会が新しい建物を建てる時に、ポンと大金を寄付してくださったのが松岡さんという方で

この方が、現在のみんなのいえカラフルのある場所に、長年住み”松岡金物店”を営んでいた方。

 

残念なことに数年前に亡くなられているのですが

「松岡さんの想いを引き継ぎたい」との想いで家を譲り受けたのが、川口さんなのです。

 

川口さんと私が出会ったのが今年の2月頃。

お会いした当初から

 

「松岡さんは、せかせかする私に”ゆっくりお茶を飲んでいきなさい”といつも声をかけてくれた」

「いろんな人が、松岡さんのところに集まってね。出前取って食べたりしていたのよ」

 

と、何度も松岡さんのことを話してくれたから、私の中で

”松岡のおばあちゃん”

は他人ではないような気になっていた。

 

松岡のおばあちゃんの家の改修が決まって部屋の片づけをする時に、部屋にはたくさんの写真が保管されていたから

手を止めてアルバムに見入ることがよくあったのだけれど

その写真の中に、一人の車いすの男の子の写真が写っていた。

 

小さい頃の写真、支援学校を卒業する時の写真・・・・

 

川口さんに尋ねると、松岡のおばあちゃんの親戚だということがわかった。

名前はJ君。

 

私の今の想いの原点が、重症心身障碍児・者施設で勤務したことだからかわからないけれど

J君の成長記録写真を見ていたら、急に他人とは思えなくなった。

 

それからは、川口さんに

「カラフルが完成したら、いつかJ君も一緒に家族の皆さんを呼ぶのが夢です!」

って話すようになってた。

 

その夢が叶った日。

カラフルがオープンしてしばらく経ってから、見知らぬ番号から電話が。

 

出て話を聞いていると、なんと

 

J君のお母様!!!!

 

お会いしたいと思っていたかたからの電話に感激。

 

しかも

 

”ブログを読んで、電話をかけずにいられなかった”

 

えーーーー!!ブログはこんなところでもきっかけをくれたのか・・またもや驚きで。

 

ついつい電話の最後に

「いつか、来ていただくのが夢なんです!私の車、車いすとか乗せられるし、いつか本当にいらしてください!」

って話してしまったのだけれど

J君の体調や体力のことを詳しく知らない私は、電話を切った後、少し反省した。

 

行きたくてもいけない状況かもしれないなぁ・・・って。

 

 

でも、その次の電話では

「12月に行こうと思う。Jも連れて」と。

 

何年も先のことかもしれないし実現するかもわからなかったのに〜!!(:_;)

 

関東から全介助の息子さんを連れての移動・・・

本当に大変だったと思うのですが、それでもカラフルにきてくれて・・・・

 

しかも、J君ご家族だけでなく、私のブログを読んでくださっている友達二人も一緒に。

その友達二人も、J君がきっかけで繋がった二人。

 

皆さんの中で私は”オクユイちゃん”と呼ばれていて、初めて会ったのにそんな気がしないと言っていたのはブログのおかげ。

私もアルバムで写真を眺めていたから、初めて会った気がしなかった。

ゆったりコーヒーを飲みながら笑ったりしんみりしたりしながら

松岡さんの話、昔の想い出話、カラフルの話をした。

 

J君とも、”言葉”を使っては話していないけれど、たくさん話をした。

それが、すごくすごく幸せで、感慨深かった。

 

帰り際、川口さんが上を見上げて手を振りながら

「お〜い、見てる?みんなきたよ~」

って、空にいる松岡のおばあちゃんに話しかけて、泣いたから

 

みんなで泣いた。私も。

 

次の日、カラフルの世代間交流に参加してくださった帰り、

”もう私が生きているうちに、J君に会うことはないと思うから”という川口さんの想いで

松岡のおばあちゃんが好きだったという讃美歌をJ君に向けて歌った。

 

お別れがすごく悲しかったけれどハグでお別れ。

 

あたたかい空間だった。

 

「あたたかさ」のバトンを繋げていくこと。

川口さんにはいつも心強くてあたたかい言葉をかけてもらっている。

内装にお金をかけられず、自分で工夫してやっていたとき

「お金がないことは幸せなことなのよ。工夫が生まれるからね。」

と言ってくれていたし

「若くて想いがある人が、お金が理由であきらめるのはおかしい」

とも。

私が考え込んでしまう時には

「大丈夫、何も心配することはないのよ。なるようになっていくからね」

って元気づけてくれる。

 

一人で夜残っているときは、よくご飯を持ってきてくれたり・・・

 

その都度、申し訳ない〜って思うのだけれど

「私がそうされて育ってきたから、それを真似してしているだけなのよ」

っておっしゃる。

松岡さんにもそうされてきたのだそう。

 

 

私は松岡のおばあちゃんには会ったことはない。

だけど、川口さんの話をお伺いしていると、松岡のおばあちゃんの温かさが伝わってくる。

J君のご家族もその温かさや優しさに触れてきたのだなぁと感じる。

 

そのあたたかさのバトンを受け取ったのが川口さんであり

その想いのバトンを川口さんから受け取った人たちでカラフルがはじまったのが今年の2月。

改修を終えてオープンしたのが10月。

 

まだまだ始まったばかりだけれど、

0歳〜101歳の方まで、障害だとか立場とか地位とかは関係なくカラフルに来て下さる

多くの笑顔に囲まれて、そして助けられていて

一番、あたたかさを受け取っているのは私なのかもしれないと思いました。

あたたかさのバトンを伝えていける人間になれたらいいな。

 

 

今年最後の、大きなプレゼントに感謝!!!

また、会いたい!!

そして、遠いところから来てくださった皆様に、心から感謝。

カラフル運営の奮闘記はこちらをどうぞ!

【実践】多様性を認めあう共生社会の実現の難しさと面白さ。

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おく ゆいか。
介護福祉士→発達障害関係のNPO法人→特別支援学校教諭→退職して青年海外協力隊etc...
”みんな違ってみんないい” を実現する社会をつくるために、NPO法人TetoCompanyを設立し
大分県竹田市にて地域の交流拠点や福祉事業を運営。
小心者でおっちょこちょい。
LGBTサポートチームココカラ!共同代表。LGBT当事者として大分県内で講演活動等もしてます




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