「自然体」な人に出会ったことはありますか?
好き嫌いはあるかもしれないけれど、私は「自然体」で生きている人にとても憧れがあります。
小さな幸せを大切にしていて、そこでニッコリ笑っているような。
がんばりすぎず無理をせず片意地はることもせず・・・。
というわけで、自然体な人の特徴だったり、自然体に生きるために必要なことを書いていきたいと思います。
目次
自然体の意味とは。
ところで、「自然体」ってどういうことなんだろう。
googleで調べてみると
柔道で、からだの力を抜いて自然に立つ基本姿勢。比喩的に、りきまずに物事に臨む(物事を処する)態度。
と出てきました。
え、元々は柔道の言葉だったの?!
”りきまずに物事に臨む態度”のことを「自然体」と表現しているんですね。
自然体な人の「魅力」と特徴
「うわ~、この方自然体で素敵だなぁ」って感じる人のことを頭に浮かべながら書いていきますね。
人のことを悪く言わない。
この人の中に「悪」っていう言葉あるの?!っていうくらい、優しいです。
何か嫌なことをされたとしても、相手のことを「嫌い!」って言っている姿を見たことがありません。
どこかで、“そんなこともあるよね”って思っているからでしょうか。
誰かに指摘されたとしても、それを素直に受け取る心を持っています。
かといって、その指摘によってふりまわされることもないです。
損・得を考えずに思った行動ができる。
自然体な人は、損得を考えて相手と接することがありません。
誰に対しても平等。
中学1年生の時、こんなことがあったのを鮮明に覚えています。
クラスの中でちょっと嫌われていた子が、音楽の時間に教科書を忘れたんだよね。
もちろん、授業の最初に先生に言わないといけなかったわけだけど、その子は言わなかった。
でね、リコーダーを吹く時に先生に当てられちゃったの。
誰もその子に教科書を貸さなかったし、
私も“渡した方がいいけど渡したくないな”っていう意地悪な気持ちが芽生えて躊躇してた。
そんな時に、いつも自然体なあの子は、迷うことも無くサッと教科書を渡したんです。
その子が嫌われているかとか最初に先生に言わなかったから自業自得だとか、そんな背景はどうでもよくて、
自然体なあの子は、目の前で困っているその子だけを見て行動したんです。
いや、かっこよすぎるでしょ。いじわるな心を持った自分が恥ずかしくもなった思い出です。
誰に対しても平等であったり、損得を考えて人と接しない自然体なひとは、魅力的です。
周囲に合わせるのではなく、「自分」を持っているからできることなんじゃないかな。
包容力がある。
自然体な人は、落ち込んだ時も、嬉しいことがあった時も、振り返ればいつも「そこ」にいてくれます。
どんな時も態度がかわらない。
だから、その人のところに戻れば安心することがあります。
一緒に居ると「そのままでいいんだ」って思わせてくれるんですよね。
あの包容力は一体どこからくるんだろう?って今考えてみたんだけど
心に余裕があるからだと思います。
無理をしていない。
「心に余裕」がある理由は、普段から無理をしていないから。
無理をする状態というのは、
自分のキャパシティを超えて、無理矢理がんばること。
それが悪いことだとは思っていませんが、自然体な人はそれをしません。
(敢えて悪い言い方で居れば、向上心が無いのかもしれないけれど)
世の中が向上心に溢れる人ばかりだとしたら・・・想像しただけで疲れます。
そんな中で無理をせず、自分軸で生きている人は「心に余裕」があります。
だからこそ、他者に対して平等に接することができたり、人のことを悪くいわずともストレスを上手く消化できる余力が残っているのだと思います。
自分のことをそのまま受け入れている。
自分自身のことを「否定」しないって難しいなぁ・・・と思っている人も多いのでは?
否定することも無く、良く見せようと頑張ることも無く、そのままの自分を受け入れているのが自然体な人。
児童心理学や福祉分野で出てくる言葉に「愛着(アタッチメント)」というものがあります。
愛着理論(Attachment theory )は、心理学、進化学、生態学における概念であり
人と人との親密さを表現しようとする愛着行動についての理論である。
子供は社会的、精神的発達を正常に行うために、少なくとも一人の養育者と親密な関係を維持しなければならず
それが無ければ、子供は社会的、心理学的な問題を抱えるようになる。引用:wikipedia愛着理論
オムツが濡れて泣いたら代えてもらい、お腹が減ったらごはんを食べさせてもらい、無条件の愛を受け取る中で
そのままの自分で愛されているという経験を沢山しています。
そうなると、自分自身を肯定することも容易です。
自然体でいるということは、育つ中で”そのままの自分でも愛される”という経験をして育ってきたからなんじゃないかなって思います。
他者との比較の中で生きていない
自然体=他者との比較の中で生きていない人です。
比較をして、落ち込むことや他者を見下して優越感にひたることもないです。
他者がどうとか気にならないので悪く言う必要もないし、自分が想うままに行動できているのだと思う。
強く主張することはなくとも「私はこう思う」という意見を持っていますし、それを他者に押しつけることもしません。
以上が、私が出会ってきた「自然体」な人です。
自然体な人になるには?
もう何年も前になるけれど、こんな写真が出てきた。
青年海外協力隊に参加する前に「2年後の自分は?」をイメージして書いたものだと思うのですが・・・・
これをわざわざ掲げるってことは、「自然体」で生きたいと思いつつ、当時はそれができてなかったんじゃないかなって思う(笑)
そして、今も多少なりとも頭の中で「自然体でありたい」と思う自分がいるということは・・・・
そうではない自分が時々みえているからだろうなって思うんですよ。
意識せずともできているのが”自然体な人“。
「自然体」ではなく「ありのままの自分」でいることを意識する。
「自然体」な人に良さがあるように、一人一人に「良さ」が必ずあると、私は思います。
既にあるその「良さ」に気が付かないまま、他の誰かになろうとするなんて勿体ないです。
まずは、自分自身を見つめなおすことが大切なのではないでしょうか。
感じるままを、感じたままに。
私たちは、赤ちゃんから成長していく中で様々な大人と関わりを持ちますが
「あれも無理、これも無理」と言われて育ってきた子どもは、自分のことを「できない人」とレッテル貼りをします。
「あなたは○○な人だね」と言われることが多いと「私は○○な人なんだな」と思い込みます。
だけど、まだ若いうちに周囲の評価から「自分の在り方」を決めてしまっていませんか?
私が若いうちに無意識て決めていた自分の在り方は「強くて、なんでもひとりでやってのける。ポジティブ」です。
もしかしたら、友人の中にはまだそんなイメージを持っているのかもしれないけれど
全然そうじゃないです(‘Д’)
世の中にはたくさんの「こうあるべき」が存在するわけだけれど
そんな「こうあるべき」という言葉の呪縛に縛られて、自分の心を無視していたので苦しくなることがありました。
「こうあるべき」の前に、自分自身が「どうありたいか」の方が大事だったし、「どうありたいか」を知るためには、
自己理解が大切でした。
- 自分の感じている気持ちや想いに素直になる。→なぜ自分はこう考えるんだろう?と深堀する。自分からでてくる感情を素直に受け取る。
- 他者からのフィードバックを受けてみる→他者評価中心になってはいけませんが、自分の見えていない部分を知るために信頼している人から「私ってどんな人?」「私の良いところは?」などと聞いてみるといいかも。
- 検査をしてデータを集める→職業適性検査やクレペリン検査(隣の数字を足していく)等の本格的なものから、自分で手軽に受けることができる無料の長所診断なども役に立ちます、。
関連記事⇒【自分に自信が無い方におススメ!!】長所を見つける無料診断をやってみたら本当に当たってた
「無理をしない」を意識する。
大切なことがある場合は無理をすることも必要かもしれません。
だけど、無理をしすぎる人は、「無理をしない」ことを意識してみてもよいのかも。
そんなの無理!って思う人もいるかもしれないけれど、そういう気持ちが芽生えたら
「なんでそう思うんだろう?」と自分と向き合い自己理解につなげましょう。
私の場合も、無理をしすぎる人だった訳ですが、自己理解を進めていくと
「無理をして結果を出さなければ評価をされない。そんな自分は愛されない」
という想いが根本にあったことがわかりましたよ(^_^;)
その方法で無理をしているといつかメンタルが崩れます。(私の場合は10年間の摂食障害になった。もう絶対なりたくない。苦)
・・・自分のように無理しすぎて苦しんでいる人を見るのが嫌なのでこういう記事を時々書いています。
おわりに。
ニュートラルな状態でいる人・ナチュラルな姿で居る人は安心感があるなぁと思っています。
「がんばりすぎない」ので、一緒に居る自分も対抗心だとか変なプライドを持つ必要がありません。
その人と一緒にいると、自分自身も”そのままでいいんだ”って思えることが多いです。
やっぱり私は自然体な人が好き。
【自然体な人の「魅力」と特徴】
- 人のことを悪く言わない。
- 損・得を考えずに思った行動ができる。
- 包容力がある。
- 無理をしていない。
- 自分のことをそのまま受け入れている。
- 他者との比較の中で生きていない
以上、オクユイカ(@Saba0m)でした!