本当の自分を知るためには『自分を偽る』ことをやめること。



こんにちは。永遠中二病のオクユイカです。

この前ね、お風呂場に蜂がいて蜂パニックになったの。

ぎゃーーー!ってなって、窓をあけたところ、なぜかそこにも2匹・・・。

恐怖の入浴でした。詳しく書こうと思ったけど辞めますね。笑

 

さて、ここからは全く別の話。

自分を偽って生きるのってなんのメリットもなかったよ!っていうことをどこかの誰かに伝えたくなって。

自分の経験からしか物事を語ることもブログを書くことしかできないのだけれど、「おまえが生まれてこなければよかった。」私が、虐待や摂食障害から学んだこと。 

という記事を書いたときに思わぬ反応があって

 

「あ、私にとって当たり前の経験が誰かの役に立つのか〜」

 

と感じることがあったので、今回も同じような経験をしている方の参考になればうれしいなって。

 

•自分を偽って生きている感覚がある

•本当の自分は見せられないと思っている。

昔の私みたいな方によんでもらえてたら嬉しいです。

自分ごまかして生きることが自分を苦しくさせる

「よくみせたい」

「かっこつけたい」

「馬鹿にされたくないから強く見せておこう」

などなど、だれにでもこんな感情はあるんじゃないかな。

そういう自分になり、自分に酔っている人は、幸せなことだと思う。

(別に悪口言ってるわけじゃないよ!自分に酔うって大事なスキルだとおもってます)

 

ソクラテスに聞いてみた」という本を読んだ。

この本は、ソクラテスがFacebookのメッセージを間違えて?送ってきたことがきっかけで27歳彼女なしのサトルが、仕事や友人、お金、恋愛、結婚に対する「本当の考え」を引き出されていくストーリー。

ソクラテスとは
古代ギリシャの哲学者で、生きることとは何か。人間はどのように生きればいいのか。ということを考える倫理学をはじめて行った人物と言われている。無知の知や問答法という言葉を聞いたコトがある方も多いのでは?

その本の一節に、大切なメッセージがあったので紹介する。

 

このまま自分を誤摩化して、他の人に迎合し続ければ、今に君は自分の「生」に対する支配権を失って、 自分の生き方を自分で決められない奴隷的な人間になってしまうだろう。

そうして、「仕事がうまくいかないのは上司のせいだ」とか「自分に正直になれないのは就活制度のせいだ」とか、果ては「自分がこういう人間になったのは社会のせいだ」とか、そんな風に愚痴をこぼして、自らが招いた不遇を嘆きながら、一生を無為にすごすことになるんだ。

それが嫌なら、君は他者の要求を満たすことを自分の関心の中心におくべきではない。

さもないと、結局君は自分の魂を傷つけて、被害者意識が強くてなんでも人のせいにする、身勝手極まりない人間になってしまうよ。 引用:ソクラテスに聞いてみた

これってね、わかっていても中々できないことだと思うの。

 

周囲の目を気にしすぎると、本当の自分が見えなくなってくる

高校時代、私はテニスの特待生として、私立の学校に入学した。

当時の顧問は「根性論」中心だった。

「俺がカラスが「白」と言ったら、お前たちも「白」と言わなければいけない」と言われていたように、顧問の思い通りに動かなければいけなかった。

練習のし過ぎで、疲労骨折をしていた時期があったんだけど、そんなのは休む理由にも試合に負ける理由にもならず・・すごく痛かったけれど試合会場のアスファルトの上で正座で説教をされたことも。(今ではありえないけどそういう時代だったのかしら??)

もちろん、その根性論から学んだ事もたくさんあるし毎日球出しをしてくれた顧問には感謝しているんだけど・・・

 

顧問に迎合するというか、顧問が怖くて従っていた結果・・・どうなったと思いますか?

試合に負けると

「顧問があのトレーニングをしなかったからいけない」

「○○高校だったらメンタルトレーニングもしているのに」

環境のせいにしたり人のせいにするようになってた

 

ブログにも書いた事があるかもしれないけれど高校3年に入ったばかりのときに、親友が心を病んで飛び降りたことがあった。

その直前に悩む親友を置いて「部活にいかないと怒られちゃうから」と、教室を出て話をきかなかったのは私。

そんな後悔もあって、顧問に保健室に少し行かせてくださいとお願いしたけれど行かせてもらえなかったんですよね。

顧問のせいにして従うところだったけど、その一言を聞いたとき、私の中でも今まで溜まっていた何かがふっきれて!

「じゃーテニスを辞めます。」っていう言葉が口から自然とでた。

 

この時ほどスカッとしたことはなかった!

 

でもこの後が大変だった。

キャプテンだったのにも関わらず、引退3ヶ月前に退部したので辞めた事に対する周囲の目もキツく、授業料も4万ほどを卒業まで払った。

 

「こんなおちぶれ人間、きっとみんなは冷ややかな目で見ているんだろう」と勝手に思い込んで、周りに情けないって思われないように自分を装ったり、強く見せようとしたり、常に明るくしようとしたり・・。

せっかく自分で自分の道を決められたのに、周囲の目を気にしすぎたせいでどんどん辛くなっていったんです。

そして、更に自分がわからなくなった。。。

今振り返ると全部自分のせいだなって思う。

きっと卑屈な目で社会も、周りの大人のことも見ていたから、毎日つまらなかったし、そういう思考になるのも家庭環境のせいだとか学校のせいだとか人のせいにしてた。

人のせいにするのは、自分の人生に主体性がない証拠だなって、大人になって気が付きました。

 

人は他人の事なんて、あまり気にしていない。

今振り返ると、私のことなんて周りは特に気にしてなかったと思うの。

「こう思われるんじゃないか?」という勝手な妄想のせいで、自分で自分の首をしめてた。

 

なんかさ、すっごくもったいないよね。笑

 

楽しく過ごせたはずの時間を、他の人の目が気になってつまらない時間にしちゃってた。

今、自分を偽らずに生きるということを決めてから、絶対こっちの方がいい!!と思うようになったのでそのことについて書かせてください。


「自分を偽らない」そのままの自分でいることのメリット

メリット1:減点方式ではなく加点方式になる

いやぁ〜!!

長いこと、これに気がつきませんでした!笑

自分をよく見せようと無理をすると、今度はつくりあげたイメージが崩れないようにがんばらなきゃいけなくなるの。笑

 

例えば、100点満点の自分を装って、恋人ができたとしたら、「本当の自分をみせたらきらわれる」っていう思いが徐々にストレスになっていて・・・。

•部屋が片付いていないところ見られたから(ー1点)

•美味しい食事を作れなかった(−1点)

•服装がおしゃれじゃない(ー2点)

そんなイメージ。

 

でね、何かあると「やっぱり本当の自分を見せたからだ」って関連づけてその思いを強化づけてしまう。

 

その反面最初からそのままの自分でいれば、加点方式だよ!!

そのままの自分でいる時に出会ったのがミカンちゃんでした。←

(その時いろいろありすぎて自分をかっこ良く見せるとかそんな余裕がなかっただけ)

 

メリット2:信頼できる人が誰なのかわかる

私はこうしてブログで自分の弱さも駄目な部分も隠さずに出すようにしているんだけど、それでも仲良くしてくださる方って沢山いたんです。

むしろ、そういう自分を出したからこそ繋がった新しい出会いもあって。

 

今の職場の方々は私がLGBT関係の活動をしていることも知っててね、しかも最近は「ブログ読んだよ〜!」とおっしゃってくれる方やミカンちゃんのことを知っている方まで。。

恥ずかしいけど、そこまで知ってるとなると開き直るようになります。笑

 

レズビアンであることは数年前まで秘密事項でありバレないように周囲との壁をはっていたけれど、今は周りの方とも壁を作らずに話す事ができててそれがすごく幸せなんです。

 

長い間周りの人を全然信用せず疑って生きていたんでしょうね。

 

そのままの自分を見せることで去る人もいると思う。

でも、偽った自分でいることで去る人もいるはず。

みんな違う育ち方、環境、生き方をしているんだから、全員に好かれるってまず無いので、そのままの自分を見せて、それでも離れないでいてくれる方々を想うことに自分の時間を使ったほうがいいな、って私は思います。

メリット3:自分がどんな人間なのかが見えてくる

「自分のことがわからない」という方って時々いるとおもうのですが

  • 日々忙しくしていて自分の心の内側をじっくり見て考える事がない
  • 周りに合わせすぎて自分の意見等がなくなってしまった
  • 心の内面や自分の気持ちを言語化することができていない

そんな理由によるものではないでしょうか。

これが好き!これが嫌い!これはしたくない!楽しい!嬉しい!等々・・・そんな自分の感情に気づくことで、自分の事がわかりはじめます。

特に家庭環境があまりよくなくて親の顔色を伺いながら生きてきた方。

親に気に入られるための「自分」をつくりあげていませんか?

今でもあきれられてるとおもうんだけど、関係性はかなり良くなりました!!

本当の自分を取り戻す為に必要な事

自分観察日記をつける

自分がどう感じたのか、どう思うのかを振り返りながら言語化するような練習が必要。文字にしてみるとスッキリしたり見えてくることも多いよ!!

私の場合はブログがその役割を果たしています。

「言語化」ってすごく大切。

もしも悲しみを感じたときに、表現する言葉が「悲しい」しかなければ、たとえ細かい心情があったとしても誰かに伝える事ができません。自分自身でもそれ以上の認識ができない。

この悲しさはどこからくるんだろう?とモヤモヤしちゃったりね。

 

「悲しい」だけで伝わらなかったことも、言語を知っていれば「足の小指をテーブルの角にぶつけて痛いのに、そばで心配してくれる人もおらず悲しい」

まで言葉にできて相手にも伝わります。(例えがわかりにくいとか言わないで)

 

よくわからない感情でモヤモヤする人にかけているのは言語化する能力だとおもいます。

自分のことを観察して振り返ってみたり、ノートに想いを書き出すだけでもだいぶかわるとおもう!

それと同時に色々な本を読んで自分の語彙力を増やすということも自分を知るためには必要なんじゃないかなぁと思います。

自分の意見を相手に伝える経験を積む

「相手を大切」にする意識が強すぎて、「自分を大切」にを忘れている方もいるんじゃないかな。

ワガママと自分を大切にするはまた別ですが、相手の事ばかり考えて「私は別にいいから・・・」と言いつつも

家に帰ってずーーーーっと「周りは自分のことをわかってくれない!」

なんておもっている人は、自分の意見を少し出してみては?

 

言わないと誰もわかってくれないです。 言わないくせに周りの人に対して「どうせほかの人は私のことなんて・・・」ってひねくれていたのは紛れもなく過去の私。

 

きっとね、怖いとおもうの。

だけど、少しずつ少しずつ意見を出したり「断る」ということをしてみてほしいです。

そんなに周りは気にしてないから。

おわりに

古代ギリシャの時代から「生きることとは何か」を考える人がいたという事は、人間ってどんな時代にも「生きる」ということに考えるものなんでしょうね。

人が生きる上で「どう生きるか?」と考えるタイミングがあるのは当然で、それを自分なりに考えて消化して行動することが、自分の人生を生きる ということなのかもしれません。

なんというか、赤ちゃんが言葉を覚えたり歩き始めたりするように、「生き方について悩む」というのは人間が成長して行く過程のひとつなんだと思う。

私もそんな過程を経て、楽しく生きる事ができている今があります。

「楽しいな」って感じながら生きていける人が一人でも増えたら、嬉しいです。

以上、オクユイカ(@Saba0m)でした!

本当の自分で生きたい!だから、これまでの29年間の自分を疑う。
本当の自分って何だろう? 私は昔から、そんなことを考えているような気がしてます。思春期とか特に。でも、今は、思春期のそれとは違います。 29年間生き...

ブログの中に出てきた本

 

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このブログの運営者


おく ゆいか。 

介護福祉士→発達障害関係のNPO法人→特別支援学校教諭→退職して青年海外協力隊etc...

”みんな違ってみんないい” を実現する社会をつくるために、現在はフリーで福祉・教育分野で動いています。

田舎暮らしが憧れ。

レズビアン当事者として大分県内でちょこっと活動中。

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