紅葉の季節、大阪城に行ってきました。
それからずっと頭にぼやーっと残ってることがあります。
大阪城は豊臣秀吉が建てたとずっと勘違いして生きてきたなぁ・・・ということです。
昔、長い時間をかけて大阪城を立てたのは、町に住む人々。
大きな石も一つ一つ運んだのかなぁ。汗が染みこんでいるのかなぁ・・・
そんなのは予想でしかないけれど、そんなことを思いながら大阪城を眺めていると、つい、その場所にずっと座っていたくなりました。
私には、他にも、勘違いしてきたことが沢山あった。
そのことについて書きたいと思います。
目次
私が犯してきた様々な勘違い
人の上に立つ者が偉い!
小学校や中学校で歴史を習う時、有名な歴史上の人物が出てきてテストのためにそれを暗記していました。
坂本龍馬?
徳川家康?
もう忘れてしまった過去の天皇の名前。
へぇ!国を変えた偉い人達なんだなー!!!
そのくらいの印象しかないのだけれど、私の中にはたぶん
”上に立つ人が偉い”
”教科書に載るくらい偉い”
”テレビに出てるからすごい”
あ、そうじゃない人は偉くないんだ。そんな気持ちが無意識のうちにどんどん刷り込まれていっていたのだと思います。
無意識に。
金持ちが偉い
お金を持っている人は影響力があります。
特に、お金主義の社会では、お金があるかないかが、まるでその人の価値のように表現されていたりもします。
人間の欲というものは尽きることがないようで、仏様のようになれない私は、やっぱりお金が欲しいです。(生きるためにね)
けれど、お金の多い少ないは、その人の価値を決めるものでは決してないはず。
これも、勘違いしてました。
一人一人が世の中つくってるから、みんな偉い。
上に立つ人がいれば、下で働いている人がいます。(働かされて苦しい思いをしている人だってたくさんいる)
お金を持つ人がいれば、お金を払う人がいる。(お金を騙されて払った人だってたくさんいる)
上に立つ人が偉いのでもないしお金持ちが偉いのでもなくて、一人一人が社会を作っている大事な存在なのだと思う。
そうやって考えたら、待ち合わせして一緒にランチしている友人に対する見方も、世の中の見方も変わってくる。
周りを見ていたら、すごいなぁ~って思うことが本当に多い。
でも・・・、時々、そんなことを忘れてしまう自分もやっぱりまだまだ居て。
目の前で働く人を想うこと。
私が2年住んでいたマレーシアの田舎では、仕事はバリバリする人は少なかったので、一緒に仕事をするとなると大変な部分がありました。
けれど、そんなマレーシアの方の良さはフレンドリーなところ!。誰にでも話しかけるし、すぐに仲良くなる。
日本に慣れていた私は、自分の領域(だと思っている)に入れらると鬱陶しく感じることもあったけれどやっぱり温かかった。
人が、温かかった。
偉いと思っているというか、お互いを尊重しているんでしょうね。いいところだと思う。
そんな、マレーシアで良いところだなぁと思ってた部分を、日本に帰ってきてから、日本に合わせて無くしちゃうのはどうなんだろう。って思っていくつか試したことがあります。
宅配便の配達員の方へ
帰国してすぐは実家に住んでいたんですが、その間の期間に、何回か郵便配達や宅急便の配達員の方が荷物などを持ってきてくれることがありました。
再配達とかの場合はさ、申し訳ないことに何回もきてくれる。
(マレーシアは一回は来ますが、再配達はありません。)
私が、こうやってのんびり家でコーヒー飲んでいる時も、働いている方がいるんだなって。
”あぁ・・・今日も仕事かぁ”って思いながら働いている人もいるんだろうなって。
有り難いよなぁーって思って、どうにか想いを伝えたい!と思ってからは、
「ありがとうございます」の言葉に添えて、ちょっとしたお菓子を渡すようにしていました。
家に置いてある大したもではないけれど・・・
でも、事前にあらかじめ手紙を添えて準備しておく・・・なんてことがあまり得意でない私にとっては、感謝を伝えるのにちょうど良いくらいだし、受け取った配達員の方がニコって笑ってくれるのが温かくて、幸せな気分を私自身がいただいちゃった。
大晦日や正月に働いている方へ
普段の生活の中でも、日本中、世界中で誰かが働いている訳なんだけれど、自分自身が動いている時ってあまり見えなかったりします。
それが、自分が休んでいる、大晦日や正月などの特別な日に働いている人を見ると、なんだかよくわからないけど私は勝手に感動しています。
スーパーでレジを打つおばちゃんが、年末行列になったレジのお客さんに対応していたり
地下鉄の駅員さんも、通りすがりに「おはようございます」と言ってくれたりさ。
周りを便利にするために特別な日にも働いている。
(全員休んじゃえばいいのに!と思いつつ)
有難うの気持ちがいっぱいですね・・・。
ここからは私の失敗談をちょっと書きます。
そんな大晦日や正月に働いている方にも有難うってちゃんと伝えたいと思ったんです。
家にいる時はお菓子をサラッと自然に渡せたわけです。
でも、外出している時なんて、働いている方とじっくり一対一で話していたら逆に迷惑です。。
スーパー等の定員さんに「ありがとうございます」っていうくらいならいつもしているので慣れているのですが、
それプラスほしい!笑
年末であれば、
よいお年を。
ってね、一言追加するだけで、違うと思うんです。
人それぞれ感じ方が違うと思うけど、私はそうされたら嬉しいと思うから、そうしたいんです。
だけど、この一言の追加が難しかった・・・。
ほんとにもう、大阪のおばちゃんみたいになりたいのですが、私は根本部分には人見知りっていうのがあってね(悲)
よいおとしを・・・・・
勇気を出して声をだすのだけれど、相手に届く前に声が地面に急降下。
勝手に、無視された気分になって凹んでます←
そしてね、無視されてる姿を誰かに見られたら恥ずかしい・・・という思いがさらに自分を縮こませてるんです。
でも、悪いことをしているわけではないし、きっと周囲のみんながそうしていたら、「よいおとしを!」っていうくらい自分も簡単に言えたと思う。
問題は、”周りはそんなことしてないのに、ちょっと恥ずかしい”そんな気持ち。
カッコ悪いなぁ。
今後は、もう少し勇気をだして声が届くようにしよ!!
自分がイメージする”偉い人”を目指したい
2017年は、自分が、いい!と思うことは周りを気にせずどんどんやっていける年にしたいと思うし、知らない人に対しても、有り難いなって思ったらその場で相手に伝えるようにしたいです。
トップで率いる人のことを偉い と思う人もいれば、お金持ちが偉い と思う人もいる。
どれだけ社会に貢献しているかで偉いかどうかを見ている人もいると思う。
どれだけ自分の好きな人生を送れているかどうかで偉いかどうか見ている人だっているんじゃないでしょうか。
偉いって言葉は上から目線な気が、今更してきたんだけれど、もう、ここまで書いちゃったのでそのままこの言葉を使います。
私の中で、偉い人って思うのは・・・
自分というものをブラさずに持っている人。
困難がありながらも超えていこうとしている人。
日々を大切に生きている人。
決して人を蔑んだりバカにしたりしない人。
身近な人を大切にできる人。
そういう人って憧れだったりもする。身近にたくさんいるんだよね。憧れる人が。
それが、自分のなりたい姿。
お金も地位も全く要らないとは思いません。むしろ、欲しいです。ないよりあった方がいい。笑
けれど、自分が生きる上で大切にしたいことや、憧れている人達がしている当たり前のことを、忘れるような自分にはなりたくないと思います。
コメントを残す