父、最終章。

もう、ブログの更新はしないだろうと思っていたけれど、

ちょっと自分の中での区切りとして書いておこうと思います。(ただの自己満)

1月に父が倒れて亡くなって、先日、四十九日が終わった。

どこの家庭にも色々あると思うけれど、うちも訳あり一家だった。

幼いころ、父が暴れた時は家を出て学校に通えなくなることも何度かあったし

夜中に寝ていても父の機嫌が悪ければ布団をひっくりかえされて起こされ正座をさせられ続け

母をうめるとかで母の身長分の穴をほらさせられたり

借金に暴言・暴力など、事件レベルのとんでもない人でして・・・・。

 

中学2年の時、母と2人で大分県に逃げてきて大分県での生活が始まったのですが、

それから何年後も、自分の後に人が歩いていると「刺される」と思いながら過ごしていたし

最近までずっと1年に一回は父の名前を検索して何か悪いことをしていないかを調べるくらいだった。笑

 

離れてからは一度大分で追いかけられた時以外は会わないままだったけれど

カラフルを開所すると決めた時に「誰でもきてもいい=父みたいな人が来たとしても対応できるようにならんとな・・・父は何をしているかな」と考えることが増え

父と同じように家族と離婚して独居の方と出会うと、父の姿を重ねることも稀にあった。(ごく稀に。笑)

人って変わるものだと信じているのであの時の父と今の父は違うかもしれない。

父が最期に死ぬ時に、一人で孤独を感じて死んでほしくないし幸せになっていてほしいという思いから、数年前に親戚経由で手紙を渡してもらったことがある。

その手紙には、過去にされて嫌だったことを嫌味っぽくさらっとかきつつ、最後には、父の幸せを願う言葉と、自分が今生きて幸せを感じられているのは父のおかげであることを書いた。

その時に決意したのは、元気なうちは怖くて会えないけれど父が人を脅せない位弱った時や死んだ時には面倒をみようということ。

その時が早めにきた。

1月に仕事をしてる時に父が倒れたという電話を受けた。

その時が早めにきたなぁと思った。

そして、その電話で父には内縁の妻という存在がいるということを初めて知って嬉しく?なった。

その電話を終えて、急いで荷物をまとめるとすぐに熊本空港に向かった。

飛行機出発の15分前にカウンターにつきなんとか搭乗。

色々な想いをいだきながら父のいる病院に急いだ。

 

ICUに入っていた父には色々な機械がついていて、昨日までは会話ができていたというのが噓のような姿だった。

複雑な気持ちだったけれど、父の手をにぎり目線を合わせ

「お父さん、結香だよ。きたよ」

と20年以上ぶりの再会につい泣きながら声をかけるも反応はない。

でも、父から涙が少し流れたように見えた。(その時は目の乾燥で涙が出ただけだと思っていたけど、その後、同じ涙は見なかったから、泣いていたのかもなぁ。真相は謎)

 

しばらく一緒に過ごし一方的に話しかけまくってたら面会時間が終わってしまった。

内縁の妻の方にも会い

「こんな大変な父親と一緒にいてくださってありがとうございます。父が誰かと一緒に幸せでいてほしいというのが私の願いだったので、感謝しています」

と伝えた。

心の底からそう思ってた。

 

しかし、その内縁の妻の方が病院から離れた後、事件は起きた。

 

 

もう一人、内縁の妻という方が現れたのだ。

 

 

はぁぁぁぁぁ???

 

 

おい、お前は何もかわっとらんやないかい!!!!!!!!怒

 

さっきのじんわりきた時間をかえせと思った。

その次の日の面会からは、父が言い返してこないことをいいことに色々言ってやった。笑

数日後、父は亡くなった。

悲しみよりも二人の内縁の妻の方々にすごく気を使う自分がいて、なにやってるのかわからなくなった。

もちろん二人はお互いの存在を知らず何年も一緒にいて「完全に騙されましたわ。笑」だって。

 

火葬場では、少ない親戚が集まり「父にどんなひどいことをされたか自慢」で盛り上がり人が死んだとは思えない雰囲気だった。

そっちのほうが父も好きかもしれない。

 

死ぬ前に、「結香に渡すお金が少しあるからよろしく」と叔母に話していたというが、予想していた通り、借金だらけだった。気持ちだけ受け取っておこう。

 

最強の自己中でありながら寂しがりな父には、2人が必要だったのかな・・・。

永遠に探し続けるくらいのしつこさのある人だった記憶だけど、2人いたからこそ、私たち家族のことを振り切れた?のかなとも思った。世の中うまくできているなぁ・・・

 

なんだか、、、、それぞれ色々な生き方があるんだなぁ~とまた一つ深く感じた。

 

そこからもまたバタバタと色々なことがありましたが、ここらへんで書くのをやめようと思う。

実は、そんな父に復讐をしたことがある。

一回目は、小学校4年生の頃。
野菜が嫌いなあなたにご飯を作れと命令された時、卵焼きの中に、ピーマンをみじん切りにして絞って入れてやったこと(バレなかった!)

二度目が今回の暴露です。
もう、ネタにさせてくれ。笑

いろいろ思うことはあるけれど、改めて感じることは

父がいなきゃ自分は生まれてないし今のような幸せを感じることはできていなかった。

大変なこともあるけど、それも幸せなことだと思える。

周りの人たちのおかげ(あと自分もちょっとは頑張ったかも)で、幸せを感じさせてもらえてるので、結果的に、父にも感謝です。

なので、愛を込めて心の底から伝えたいと思います。

 

 

ありがとう、クソ親父!!!!!

 

END

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おく ゆいか。
介護福祉士→発達障害関係のNPO法人→特別支援学校教諭→退職して青年海外協力隊etc...
”みんな違ってみんないい” を実現する社会をつくるために、NPO法人TetoCompanyを設立し
大分県竹田市にて地域の交流拠点や福祉事業を運営。
小心者でおっちょこちょい。
LGBTサポートチームココカラ!共同代表。LGBT当事者として大分県内で講演活動等もしてます




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