こんにちは。オクユイカです。
7月9日に友人が主催した「障害ぶっちゃけ座談会〜聞こう・話そう・考えよう〜」というのが別府大学であったので行ってきました(^^)
”障害者”って言葉に覆われてしまって、同じ「人」であるのにも関わらず遠い存在に思っている方が多いなぁと感じているんだけど、
そんな距離を少し近づけてくれる、そんなイベントでした!!
目次
障害ぶっちゃけ座談会のこと。
イベントの経緯
主催者は下鶴賢太郎君(以下、モヅル)
別府大学人間関係学科三年。手話サークルHELLO部長、別府大学青年団団長。
一橋大学中退後、鹿児島の実家で約2年間引きこもり生活。現在別府大学で福祉を学ぶ。 シンガーソングライターの藤原さくらのファン。
モヅルがチラシに書いていたメッセージ。
障害者は「何もできない」「話しかけずらい」というイメージがありませんか?そのようなイメージがあるのはなぜでしょう?
それは、「障害について知らない」「障害について知る機会がない」からです。今回私たちは、実行委員会を立ち上げ、「障害について理解してもらう」「障害は特別な存在ではない」という事を知ってもらう為に座談会を企画しました。
皆さんと一緒にインクルーシブな社会の実現に向けて一緒に考えていきたいと思います。
別府大学でセクシュアリティに関する講師にお呼ばれしたことがあり、生徒として話を聞いてくれていたのがモヅル。それがモヅルとの出会い。
とはいえ、モヅルも色々乗り越えてきているからか?歳は27歳くらいかな?
好奇心旺盛で素直なモヅルがゲストとして読んだのが3人の友人・知人でした。
登壇者は3名の車椅子ユーザー
【押切真人さん】
NPO法人自立支援センターおおいた所属。大学在学中、柔道をしている時に頸椎を損傷。
リハビリ→自宅を経て現在別府市にて自立生活を送っている。趣味はパチンコ。
【福原真雄さん】
別府大学国際経営学科4年。別府大学青年団副団長。温泉が大好きで、別府八湯車椅子温泉道の温泉名人。
幼少期の頸椎損傷で車椅子。頸椎を圧迫されたことにより全身麻痺。現在、就活と卒業に追われる日々。
【本郷治さん】
別府大学国際言語文化学科3年。脳性麻痺による四肢体幹機能障害。脳の伝達が遅れ、筋肉が思うように動かない。
韓国語が得意で、Kポップと将棋が大好き。
支援学校って「ぶっちゃけ」どうなの?
そんな3名プラス、進行のモヅルではじまった「障害ぶっちゃけ座談会」最初から気になるテーマでした・・・。
支援学校に行って良かったことは?
大学に来てよかったことは?
というのはあまりしゃべる人がいなかったから(^_^;)
先生たちが無理して明るくしていた感じだったので・・・運動会の応援団とか虚しかったですよ(笑)
私が勤務していた学校は、応援団の人数もいて賑わいがあった気がしますが、人数が少ない学校は”盛り上がり”という点に関しては難しい部分があるのかも?!
大学はいってから色々な想い出ができた。
大学はサークル2つ掛け持ちをしていたし、去年はサークルの飲み会でべろんべろんになったこと、合宿にいってグルグルバットをして転んだこととか。
あわや大惨事でしたよ!ケガがなかったからよかったものの!笑 そのくらいの積極性あるということではありますが・・・。
その後、真雄さんとの最初の出会いについて、モヅルは自分の気持ちを正直にこう話していました。
ぶっちゃけ座談会だからぶっちゃけますけど、合宿で初めて真雄さんに会って、”車椅子で降りれないから他の場所で集まりを”というのを聞いた時に僕は
「こっちの方が多いんだから。一人の為に移動するのか」という葛藤を感じたことを覚えている。
だけど、治くんや真雄さんと過ごす中で気持ちが変わってきた。
当時は”他人事”という意識だったんだと思う。
今もどこまで配慮すればいいのかな?という葛藤はまだあるし”他人事”を”自分事”にするのは無理ではあるものの、葛藤していく過程が大事なんだと思った。
初めは抵抗を感じたモヅルだからこそできる、今回の企画なんだよね。
トイレって”ぶっちゃけ”どうしてるの?
大学で困っていることの話の一つとしてトイレの話がでました。
やっぱり僕は男子だから。そういう恥じらいもある。男子トイレがよかったなぁ。
ちなみに、既に社会人の押切さんはというと・・・
仕事や遊びに行くときに一番トイレを探したりするのが面倒。
最初は外出の時だけだったけど今は楽だから常につけている。だからトイレは要らない。
そういった点は便利だけど、車椅子から足が知らないうちに落ちていて、気が付いたら親指が削れていて血だらけになっていたこともある。
ここから感覚の話にうつる・・・・。
だからカテーテルは超痛いんですよ。押切さんの話を聞くと、これでも軽いんだなぁって実感するというか・・・
大きな音とかでびっくりする。太鼓とか競技のピストル、普通に人に話しかけられてもビクってなる。
それなのに東方神起のライブには行くけど。笑
障害を受容するということについて
高校時代まで電車通学だった押切さん。満員電車に車椅子の障がい者の人がいると
正直なところ受け入れがたく「狭くなるから乗ってくるなよ」と思っていたし「絶対障害者になりたくないわ~」と思っていたのだそう。
「あ〜俺、障がい者になったわ」と思った。でも以外と受け入れるのが早かったんです。
その理由は、脊髄損傷センターに通った時に、頸椎損傷の方がいっぱいいたことで、孤立しなかったからなのだそう。
脊椎損傷センターに1年間通い、その後、別府の重度障害者センターに行った。
そこにも頸椎損傷の方がいて、自分と同級生くらいの人もいっぱいいて・・・一緒に遊びに行ったりしているうちに受け入れていたんです。
押切さんが別府にすむ理由は「余暇の充実」
押切さんは、別府の自立支援センターにいた後、一般就労をして地元山形へ。しかしそこを辞めて再度別府に戻って来たそうです。
その一番の理由は、余暇の時間を楽しみたかったからなのだそう。
いざ自分がそういう生活をした後に、地元山形に帰ってみたら、山形は全然自由がきかなかった。
僕んち田舎なので車椅子で出れないし動けない。親がいないとどこにもいけない。
親と休みが被らなかった押切さんは、休みの日はどこにも行けず、ボーっとして過ごしていたそう。そのストレスから親とのケンカも増えることに・・・。
僕はパチンコが好き。だけど地元では「ダメです」と言われてできなかった。
けど別府だと椅子を外してくれるしお金も入れてくれるし玉も入れてくれる。一番はそれっすね。笑
「障害ぶっちゃけ座談会」に参加した感想
ここに書いた内容は一部。
”こんなこと聞いてもいいのかな?”と、遠慮して普段は聞かないことも「なんでもどうぞ!!」という姿勢でいてくれると、聞きやすかったです。
- 24時間テレビで、障害のある方がでるのはどう思うの?
- 自分自身が「障害者」になったことに対して、周囲の目は気にならなかった?
そんな質問もできました。
参加して感じたのは、「出会い」の大切さ。
例えば、中途障害の押切さんが、割と早く自分自身を受容できたのは、周囲に「仲間」がいたからですよね。
そして、幼いころから障害があった真雄さん、治くんは、大学で色々な「出会い」があって今を楽しんでいます。
そういえば、レズビアンに分類される私自身も、同じような方との出会いによって自分自身を受け入れられました。
1人でふさぎこんでいた時より、色々な人との出会いによって自分自身の視野も広がったなぁと感じています。
現状、支援学校を卒業して「進学をする」という方は少ないです。(少ないというか・・・無いというか・・・。。)
だけど、そのまま福祉施設に行き、関わる人が限定されることは、大きな課題だと感じました。
出会いの不足は生きづらさに繋がるのではないのかなぁと。
かといえ、同じ場で共に学び、そのうえで個々に応じた合理的配慮を行うインクルーシブ教育は理想ではあるものの、教育現場の支援員不足(予算が足りない)もあり実現にはほど遠いと思います。
そんなことを感じて、私自身「地域から!」という気持ちで探り探り動いていますが・・・・
やっぱり、社会の仕組みが変わったら優しい国になるのではないかなぁと感じます。
障害者は「何もできない」「話しかけずらい」というイメージがありませんか?そのようなイメージがあるのはなぜでしょう?
それは、「障害について知らない」「障害について知る機会がない」からです。
実行委員会の言葉にあった通り、今回の「障害ぶっちゃけ座談会」は”知る” ”知り合う”素敵な機会でした!
今回は、肢体不自由の方の”ぶっちゃけ”だったけど、色々なマイノリティが発信して繋がる機会があったら素敵ですね♪
企画のモヅルはじめ、別府大学のみなさん、素敵な企画をありがとうございました!!