こんにちは。オクユイカ(@Saba0m)です。
最近、子どもを産むことに対して尋ねられることが続きました。
上司「子どもとか欲しいと思わないの~?」
私「うーん、欲しいとは思いますけどね」
上司「この前テレビで、精子提供で子どもを産んだカップルが出ててさ…」
っていうやりとり。
毎回、感動する。
その後二時間くらいは思い出しては幸せな気持ちに浸ってるから、有難い性格だとおもう。— オクユイカ (@Saba0m) 2018年3月9日
先日久しぶりに会った、高校の同級生にも、「子どもは欲しくないの?」と聞かれました。
そして今日・・・。
母とランチ。
母「子どもほしくないの?」
私「欲しいけど、私一人の想いじゃないしさ…(中略)
精子提供だと片方だけ血の繋がりがあるのが複雑みたい。それなら養子の方がいいらしいよ~」母「二人とも一人ずつ産めばいいんじゃない?」
固定観念強めの母がそんなこと言うとは…
時代の変化??— オクユイカ (@Saba0m) 2018年3月18日
この日の朝まで、高校の時の友だちのお子さんがお泊りにきてたこともあり、私とその子の様子を見て質問してきたのだと思う。
上司、高校の友人、そして母。
以前であれば
「子ども欲しくない?→欲しいなら異性と結婚しないとできないよね」だったのが
「今のパートナー(同性)と子どもを持つこと考えないの?」という内容に変わったということ。
これは、メディアのおかげだとおもう。だから有難いなっておもいます。
(メディアが動く裏事情がいろいろあったとしても・・・ね)
目次
アメリカ同性婚最高裁判決までの道のり「The Freedom to Marry」を見て自分の心に気が付いた。
先日、大分市内であったイベントにパネリストとして登壇しました。
パネリストと言っても、参加者の一人という意識でしたが(´・ω・`)
米国で同性婚の合法化に長年取り組んで来られたエヴァン・ウォルフソン弁護士さんの来日に合わせてシンポジウムを開催。
2015年の米全土での同性婚実現まで、30年以上活動をつづけ多大な貢献をする。
エヴァンの活動を描いた映画「Freedom of Marry」は数多くの賞を受賞。
2012年、コロンビア大学バーナードカレッジより、オバマ大統領とともにバーナードメダル(Barnard Medal of Distinction) を受賞。
TIME誌で「世界でもっとも影響力のある人物100人」に選ばれる。
地方都市の代表!大分!笑
新聞での告知もあり、当日は興味を持たれた学生さんなどもいてね、テレビ取材も入っていました。
LLANというのはLGBTへの差別や偏見をなくすことなどを目指すことを目指す法律ネットワークで、有志の弁護士さん等が集まって行動をしています。
このイベント・・・参加できてよかった。
「The Freedom to Marry」というドキュメンタリー映画が上映されたのですが、これは2016年6月26日、全米で同性婚が認められるまでの道のりを描いたもの。
数年前、アメリカ州全体で同性婚が合憲になったニュースを聞いたときは、すごく嬉しかったんだけど、こんなに長く苦しい戦いたあったことを、私は知りませんでした。
キリスト教のこともあり反対派が強かったアメリカ。
※キリスト教=「同性愛は罪」としている訳ではなくて聖書の解釈の仕方によって「同性愛は罪」と信じている方が一部いる。
そんな中で、たたかい、対話を続けて得た権利なんですね・・・。32年かかったそうです。
世の中の不公平さと向き合う姿、同性婚が認められた瞬間、喜びの中で抱き合うカップルさんの姿。
そんなのを見ていたら、涙がポロポロ・・・。
そのあとにパネリスト登壇だなんて~ぐわーーーーー。。
映画によって、自分自身のこれまでの色々な想いで胸がいっぱいになっちゃった結果、
大勢の前で涙しながら話すことに・・・やーーーー恥ずかしかった・・・。
映画によって心がしんどくもなったけれど色々な気づきや想いがうまれたからブログに書きたくなりました。
きっと、だれも闘いたくなかったはず。
ただ、好きな人と安心して一緒にいたいだけ。
ただ、幸せな家族を築きたかっただけ。
ただ、結婚をして周りに祝福されたい。
きっとそれができなかったからこそ、闘うしかなかったのだと思います。
アメリカだけでなく、日本も同じ状況じゃないかなとおもう。
「闘う」という言葉は相応しくないと思っているけれど、私も「いまのままじゃいけないはず」とおもいがあって、
大分に戻って来た2017年5月から人の前でお話をすることが増えて「セクシュアリティ」のことを考える時間が長くなった。
でね、話せば話すほど、知ればしるほど、考えれば考えるほど
なんだかなぁ~、普通のことなのになぁ~。
って思うことが増え、私にとっての「普通のこと」が聞いてくださったかたの感想を見るとそうでないことがわかることもあって、気持ちが下がることもあった。
かわいそうとか思わないで~!
弱者ではないのよ~!
特別視しないで~!
みたいな思いがすごく強くなりました。
あとね、地方も都会も、そこまで違わないんじゃないかな?って思っていたけれど、
一か所でも「そのままの自分でいられる場所」があるかないかって、かなり違うんじゃないかなって思ったり。
だけど、それをほかの人に話すこともできず・・・。
話してみればいいのだろうけど、私が自分自身の活動に誇りを持つことができないでいるからリアルの友だちと向かい合って
「こういうことしてます」って言うことはまずないし
当事者と呼ばれる友だちの中には過去に悩んだり辛かったりした経験をしているから、真面目な話をして空気が重くなるなんてこともしたくなくて避けてしまう。
(SNS上では書いちゃっているけど)
一歩ずつ進むしかないのに、ときどき、じれったさを感じている自分がいます。
スタバにも行くし、スーパーで買い物してるし、GUで試着とかもしてる、地域で平凡に生きているただの人間なんだもん。笑
いずれはこういう活動をしなくていいような社会になってほしいくて、そのために今、活動をしているような感じです。
結婚をして子どもを産みたい。という本音。
映画を見て、自分の本音に「仕方が無い」「無理」を沢山塗り重ねていたことにも気が付いた。
高校の時、結婚をして子どもを産みあったかい家庭を持つことに憧れていました。
竹田市に引っ越す前までは、まだその想いを持ってたんだよね。
特に、「子どもを育てる」ということに関しては実現させるつもりで満々で、子どもを欲しいと思っていないパートナーと話し合っては行き詰まり・・・を繰り返していた時期があります。
今は、その話をすることもなくなったし、パートナーにその話題を出すことがこわいなって思うようになったの。
今の幸せを壊したくないなーって。
また、活動をすることはカミングアウトに繋がるわけで、地元の新聞に掲載されることは顔も、私のセクシュアリティに関しても知っている人がいることになります。
幸いなことに直接関わっている人たちは私のセクシュアリティがどうこう関係なく温かく接してくれているのですが、地域の方がどう思うのかはやっぱりわからなくて・・・。
怖いんです。うん。これが本音。
そんな怖い気持ちを拭うように、私のセクシュアリティだけで私自身を判断されないように、
城下町で人とすれ違う時は、元気な声で挨拶をするようにしている最近です。(効果があるのかはしらないけどそれくらいしか・・・)
全部、自分で決めて行動していること。
だから、後悔とかは何もないんだけど、早く終わりますようにって願っています。
活動するということはそういうことだし、誰かから差別をされることも全部覚悟していたこと。
だけど・・・映画で、不公平な世の中から権利を勝ち取った姿を見ていると、蓋をしていた気持ちが出てきて
脳みその考え事や地域の現状をすべて、一旦横に置いてみたら
子ども産んで好きな人とあったかい家庭を築きたい
想いはシンプルで。
セクシュアリティのことを何も気にせず生きていける日ってくるのかな・・。
くるといいなぁ
おしまい!!
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