【死に方デザイン】死に方を考えて生きることが、本当の生きることだとおもう。

こんにちは。オクユイカです。

縁起が悪いからなのか、あんまり会話にでてこない「死」のことを書きたくなって書き始めています。

「どんな風に生きたい?」っていうのはよく聞くのに、「どんな風に死にたい?」ってあまり話題になりません。

 

二年前、自分のばーちゃんが、施設で転倒して危篤に近い状態になり、ICU(集中治療室)に入っていた時の事。

当時マレーシアにいた私も緊急一時帰国して、ばーちゃんの傍についていました。

 

お世話になっていた看護師さんと時々話をしていたんだけど、その時に

「亡くなる時に、その人のことが分かる気がするなぁ。誰も来ない人もいる。

ツユ子さん(おばあちゃん)は遠いところからお孫さんもかけつけてきてくれて幸せだね」

と、言われたことがあった。

 

ばーちゃんは息をしている状態だったけど、私の内心は

「こんなにもチューブをいっぱいつけられて・・・もうがんばったよ。ばーちゃんはどう思ってるんだろう。本当に今、幸せなのかなぁ・・・」

そんな気持ちになっていた。

死は誰にでも平等にある

「死」が恐れられるのはなんでだろう?「死」について話すのが縁起が悪いって思われるのはなんでだろうって考えたら、

”二度目がない” ”死んだらすべてが終わり”

みたいに思われているからかなと思いました。

 

癌を患わったイスラム教の方と話していた時に、「死は怖くないのか」という会話になったことがある。

そしたら、その人は

「怖くない」って言ったんだよね。

イスラム教だからかはわからなかったけど、また生き返るというような話をしてくれた。

へぇ~・・・なるほど・・・!と一瞬だけ思った後に、

 

生まれてきた以上、「死」は絶対あるものなんだから、ちゃんと死を冷静に考えるって大事だなって、

そう思ったんです。

 

『生まれる→育つ→学ぶ→働く→老いる→死ぬ』

 

事件・事故じゃない限り、多くの方はこういう流れだと思う。

死を含めて人生であり、誰にも平等に訪れる「死」なんだから、考えるのってやっぱり大事なんじゃないのかな?

学ぶ=勉学でもないし、働く=お金を稼ぐこと だとは考えていません。例えば、重度の知的障がいがある方でも、本人のペースで環境の中から学んでいるし、周囲に働きかけていると思ってるからです。

「死に方デザイン」の大切さ。

死を縁起の悪いことだと考えすぎない

大型の高齢者施設で働いたことがある。だからかなぁ

「自分の親は施設に入ってもらいたくない」っておもってる。

親は、迷惑になりたくないから施設で・・と前に言っていたけれど・・・。

・・・

特別養護老人ホームでは、お腹にチューブを通して栄養を送りながら生きている人もいます。

自分では体位を変えれないので、褥瘡防止のため数時間ごとに介護福祉士が体位変換をする。

目はずっと一点を見つめ、声かけに反応することが無い方もいる。

生がある限り、心を込めて介護をするのが仕事だって割り切るしかなかったけど、

発展した医療で、本来のその人の持つ寿命を

のばして、のばして、のばして・・・

それが正しいのかどうかわからなかった。

 

でも、自分のことくらいは決めれるよねって思う最近です。

NHKで人生デザインっていう番組を昨日たまたま見たんだけれど、生きるところから死ぬところまでが人生なんだから、

死に方デザインも重要じゃんって思うの。

・急に事故に遭った時に、長期にわたるような延命措置はしないでほしい。

・助からない病気になった時、余命をはっきり言って欲しい。

・認知症等になって身内が負担を感じるようなら、施設に入れてほしい。

とかとか。

全員にある「死」だからこそ、いつ来るかわからない死だからこそ、縁起が悪いとかそういうのは置いておいて考えたいなって思った。

 

それと、身近な人とは「死」について話したいって思った。母とか恋人とか。

(私はね!)

 

あ、少し前に流行った「終活」という言葉とはまた少し違います。

終活とは「人生の終わりをより良いものとするため、事前に準備を行うこと」です。

例えば、自分のお葬式やお墓について考えておいたり、財産や相続についての計画を立て、身辺整理をしておくといった内容で、

これらの活動を行うことで残された家族に迷惑をかけることも無くなり、また、安心して余生を過ごすことができます。 引用:暮らしづくり 終活

スポンサードリンク



「生」を思う存分味わう。

死を肯定的に捉えるためには、「生」を思う存分味わうことが大切だと思った。

ほんの少し前まで、

人生の良し悪しは”長さ”じゃないと思う!だから、病気になっても病院にはいかない。

そんな捻くれた(?)ことを言っていたのですが、きっとその時は、「生」を思う存分味わっている感があったからかもしれません。

 

それが、今は違います。

「好きな人と共に生きていく」っていうことをこれからいっぱい味わいたいって思うようになったことがきっかけで、

まだまだ味わいたい「生」がいっぱいあるんだなって気が付いたから。

 

健康に気を付けたり、ストレスを溜めすぎないように自分を大切にしたり、体調が悪い時はちゃんと病院に行ったり・・

当たり前のことだけど、これまで出来ていなかったこと。

そんなことも含めて「生」を味わって死を肯定的にとらえていけたらいいなぁ・・・。

おわりに

元気な今のうちに遺書を書いた方がいいのかな?とか

医者のカルテに「望む最期の迎え方」とか当たり前にあるといいのでは?

色々おもうことはあるけれど、どんな形であれ、

「自分で自分の死に方をデザインする」

ってことをしていきたい。

死に方を考えて生きることが、本当の生きることだと思います。

・・・死について、どう思いますか?

・・・・・どうやって死にたいですか?

スポンサーリンク
スポンサーリンク
おく ゆいか。
介護福祉士→発達障害関係のNPO法人→特別支援学校教諭→退職して青年海外協力隊etc...
”みんな違ってみんないい” を実現する社会をつくるために、NPO法人TetoCompanyを設立し
大分県竹田市にて地域の交流拠点や福祉事業を運営。
小心者でおっちょこちょい。
LGBTサポートチームココカラ!共同代表。LGBT当事者として大分県内で講演活動等もしてます




記事がよかったらシェア!

コメントを残す