本当の自分って何だろう?
私は昔から、そんなことを考えているような気がしてます。
思春期とか特に。
でも、今は、思春期のそれとは違います。
29年間生きてきた私は、今、本当の自分であると思っていた部分も疑うという作業をしています。
変な話ですよね。作業って。笑
とにかく、自分についてるものを剝がしたい!!
全部を剥がさないと本当の自分が見えてこないと感じるようになりました。
目次
日本という国の文化の上で生きている自分
マレーシア人と生活したり働いたりする青年海外協力隊の活動の中で、多くの「あれっ?」という場面があった。
美女のゲップ
マレーシアでは、がぁああああ!ってゲップする人も多いんだけど、それは普通のことです。
綺麗なマレー系の方が、がぁああああ!!って音をだしてゲップをした時に、釘付けになってるのは私だけでした。笑
(ベトナム隊員が言っていたけど、ベトナムでは、鼻をほじる人が多いそうです。)
働きすぎだから休みなよ
マレーシアの学校で働いている時によく言われたこと。
「ストレスためたらだめだよ~、お茶しようよ~」
一日に何回も誘われる。
赴任したばかりの時は
「え、仕事中でしょ!なんで働かないの?!」ってもやもや。笑
知らない人とも、すぐにともだち
自転車にのっていると、遠くからこっちに手を振る人・・・・
誰やろ・・・って思って近くまで行くと全然知らない人。笑
カフェで隣に座ったらベラベラ喋りかけてくる。
そして、みんな楽しそうにおしゃべりしてる。
ガハハって大笑いして、幸せそうだった。
「あれっ?」という場面が、思わぬいざこざを生むことも多々あったけれど、そんな時だって、どっちが間違っているとかじゃなくて、どっちも正しかった。
本当の自分の姿を知りたくなった。
私は、日本という環境の中で、自分の考えというのを身につけてきただけなんだなって気がついた。
誰かからの言葉。
どこかで読んだ本。
家庭環境。
日本という国の常識。
そんなのを身に着けて今の自分というものは在るわけだし、日本という国の上に成り立つものだって思うようになった。
”すべき”論が苦手
ずーーーーっと苦手でした。
中学とか高校の体育で、行進する授業があったんだけど、
ここは北朝鮮じゃないのになんでこんなことしなきゃいけないの?ってモヤモヤしてたし
同じ制服を着るっていうのすら。笑
大人になると、どんどん考えが凝り固まる
”すべき論”が嫌だった自分だったはずなのに、”すべき論”を押し付けられても、サラッと気にせず通り過ぎることができるようになりました。
それは楽なので嬉しい!!
でも、いつの間にか誰かと関わる時に ”〇〇すべきでしょ” って思いながら見ている自分が出てくるようになっていた。
それが嫌なんです。そんな自分は嫌い。
特に教員をしていた時は、”公務員”っていう枠が自分を押し込めているって感じて窮屈だった。
考えがどんどん偏り始めた自分に気が付いた時に、やばい!って焦った。
今も、自分でも気がついていない ”〇〇すべき” を自分自身に課せているんじゃないかなって
って疑うようにしてます。
自分で自分を縛らないように。
縛りから解放された時に本当の自分が見えてくるんじゃないのか
人に嫌われないだろうか・・・という不安な気持ちをすべて捨てたとしたら?
子どもっぽいってあきれられても、”好き””楽しい!”って自分自身が感じることをとことん追求していったら?
将来、どうするの? と心配する周りの声を振り払って、どうなるかわからなくても、やりたいことやってみたら?
色々なものに縛れらてると思うんです。縛られてるかどうかを感じるかは人それぞれだと思うけど、私はそう感じちゃう。
だから、それを外す作業をどんどんしていきたい菜って思います。
心をどんどんフリーにしていく
今、仕事というものをしていないからこそ、余計に心がフリーなのかも。
楽だ。
ブログでは思ったこと、過去のこと、自分の意見を発信してます。
素直に気持ちとか書いてるんだけど・・・書いていくたびに自分自身がどんどん変になっていっている感は否めない。笑
けど、そうやって自分を解放させていくことが、いい方向にいくことを願ってます!!
だって、よくよく考えたら私は小学校の頃も変だったもん♪
だから、自分の感覚を大切にして、変でいたいと思います。笑
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