「覚悟が無いなら関わるな」とあの人は言った。

最近、1日中友だちと一緒に遊んですごしたり、借りたマンガを朝の4時まで読んでいたり、「これが、青春か・・・若者はこうやって遊ぶのか・・・」と勝手に思い込んでいます。

こんにちは。オクユイカ(@Saba0m)です。

今日は、みんなのいえ「カラフル」のことを書きたくなってパソコンをひらいています。

「覚悟が無いなら関わるな」とあの人は言った。

カラフルのメンバーの中に、発達障害や不登校、様々な事情によって心が荒れている生徒が通う学校の先生を30年されていた方がいる。

頼りになって、温かい中にも強い芯があるような尊敬する先輩の一人。

その方が

「以前、先生方を対象にお話をしたり相談を受けていたりしたけれど、その時に「覚悟が無いなら関わるな」ということを話していたの」

という話を聞かせてもらった。

心が傷ついた生徒が、自分の関わり方次第で元気になることもあれば、死に至ることもあることを知っているからだと思う。

それを経験しているからこその言葉。

実際に、卒業生とは連絡がとれるように何百件もの連絡先が携帯に登録されているし、当時元気だった生徒でも、音信不通になったら、先生同士で心配しあい、なんとか連絡をとるように動いたり・・(案の定、ひきこもりになっていた)

そんなことをしている方の「覚悟が無いなら関わるな」という言葉は非常に重く感じます。

あの時、私は覚悟がなくて関わるのをやめた。

青年海外協力隊の隊員としてマレーシアにいた時の話。

障害児・者支援という職種での派遣だったんだけど、活動内容の1つに支援学級・支援学校を巡回して支援方法を現地の先生方にアドバイス・指導するというのがあった。

といっても誰にどんな支援が合うのかはひとり一人違うわけだし、実際に子どもが変わる様子を見せないと先生方は支援方法にも興味を持ってくれない。

だから、実際は数か月間子どもと直接関わって支援に入り、ビフォーアフターをビデオ撮影して、最後にワークショップ等を行うかたちをとっていた。

 

一番長くいた学校にいた、ある男の子のはなし。

軽度の知的障害のある児童で、とても人懐っこい。

マレーシアあるあるなんだけど、兄弟の人数も10人近いから親も見るのが大変な状況で、その中で体罰を使ってたんですよね。

テンションが上がると歯止めがきかず思い通りにいかないと叩いたり暴れたりするから、仕方なく使っていたんだと思う。。。

 

とても大きなタンコブが頭にできた状態で学校に来たり、先生の話によると頭から血を流して学校に来たこともあるとのこと。

体罰という域を明らかにこえている虐待だし、学校にも半年以上来ない状態が続くこともあるようなそんな家庭です。

先生たちも、どう対応していいのかわからずに、静かにさせるために彼の机の近くには、熱湯が入ったヤカンが置かれていた。

少し騒ぐとそれを本人の顔の目の前に持っていく・・・。

大人は、脅しや暴力でしか彼の行動をとめることができなかった。

むしろ、それでも中々行動がとまならいから、とめるための脅しや暴力がエスカレートする状態で・・・。

 

そんな状況を見てると、やっぱり悔しくて悲しくなるわけよね。

 

私が対応したこともあるけれど、”力で抑えつけない人だな”って彼が判断すると、まずは試される。

顔に唾を吐くし、目を殴るし(次の日目が開かなくなって病院行った)暴れて他の児童に危害が加わったり物を壊れたりするのを防ぐために手だけは抑えてはいたけれど、こちらはじっと冷静に彼が落ち着くのを待つしかない。

彼が落ち着くまでにかかる時間が長ければ長いほど、それほどの痛い経験を彼がしてきたということ。

仮に、怒鳴り声を出すことや体罰をするようなことになると、「大人は暴力をふるうもの」という認識が強くなるだけになるだけだし

絶対にそうならないようにしなきゃって思ってた。

 

”大丈夫、大丈夫” ”あなたがこんな風にしか表現できないようにさせてごめんね” って思いながら何とも言えない感情の中、彼の手を抑えて、どれくらいの時間が経ったかはわからないけれど・・・彼は次第に落ち着いた。

 

 

目の前の彼をこうさせている大人(社会)に憤りを感じたけれど

”家庭環境” ”本人の知的障害の程度” ”学校にくる頻度” ”マレーシアという国”

数か月でいなくなる私が家庭に入るわけにもいかないし、専門機関に繋げることが唯一できることだと思っていたけれど、その専門機関がまずない・・・。自分が学んできた知識を活かせる分野でもなかった。

 

あまりにも抱えているものが大きかったこと、私が関わり方を考えている時に学校が異動になったので、その子に関わることができなくなっていった。

 

いや、違う。

 

もしも私が積極的に「この子に関わりたい!」と強く言えば関わることができたのかもしれないけれど、ずっとマレーシアにいるわけではない私が、徹底的に彼に関わる覚悟が、いち、協力隊員の私にできていなかったのだと思う。

 

自分自身を情けなくも感じたけど、2年間はあまりにも短くて、することとしないことを分けて行動するしかなかった。

 

「覚悟」を持ってひとつ、ひとつの積み重ねる時間を。

人と関わる時に「覚悟」なんて言っていたら、人間関係がより面倒くさくなると思う人もいるのではないでしょうか。

人と関わり合う中で、笑いあったり、共によろこんだり、学び合ったり、傷ついたり傷つけられたり裏切ったり裏切られたりしながら人は成長するものだと思っているし、

関わりたくない人とは距離をとって、自分が心地よい人間関係を築くことが大事だと思う。

大切な人に対して「覚悟」を持つのはありだとしても、すべての人に対して「覚悟」というほど、強い言葉は必要ないのではないかと、私自身思っています。

 

だけど、本当に本当に傷ついている子どもと関わる時は別で、あの方がおっしゃっていた「覚悟がないなら関わるな」という言葉は、私はその通りだと思います。

 

例え、よい関わり方であっても中途半端に関わることは、一時の「安心感」を得ることができますが、その後の「見捨てられた」という感情を強めることになるし、既にその経験をしている子どもであればあるほど、戻るのに時間がかかります。

 

覚悟を持って人と関わることは、大変なこともあるし地味だし目立たない。時間もかかる。

だけど、カラフルのメンバーには、そうやって覚悟を持って「人」と関わってきた先輩がいるんです。

メディアで目立つとか、名が知れているとかそんなんじゃないんだけど、いつかブログで紹介したいかっこいい人たち。

 

「覚悟を持てず関わることをやめたあの時の自分」はたぶん、効率優先でした。その時の自分より、覚悟を持って人と関わる自分のほうがきっと好きです。

 

格好悪くてもいいから、目立たなくてもいいから、泥臭く。

 

こんな大人がいたらいいなぁ、こんな人かっこいいな、、、と、小さい時に思っていた、大人になりたいと思う。

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このブログの運営者


おく ゆいか。 

介護福祉士→発達障害関係のNPO法人→特別支援学校教諭→退職して青年海外協力隊etc...

”みんな違ってみんないい” を実現する社会をつくるために、現在はフリーで福祉・教育分野で動いています。

田舎暮らしに憧れ大分県竹田市に移住。現在地域おこし協力隊!

LGBTサポートチームココカラ!として大分県内で交流会をひらいたり講師もしてます。




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