今日は、私が絶対に勝つことができない、82歳の最強おばあちゃんの話をしたいと思う。
みんなのいえカラフルのオーナーである82歳の川口芳之(かわぐちよしの)さんだ。
「おばあちゃん」という言葉が全く似合わない存在のよしのさんのことは前にも書いているんだけど
そのままここにコピペ↓
川口さんというのは、みんなのいえカラフルの持ち主で
改修費を負担し、5年間は家賃無料にしてくださったオーナーさん。
現在は80歳を超えているのですが、竹田にある社会福祉法人やまなみ福祉会を立ち上げられ、理事長もされた方。
当時、制度もまだ不十分でお金がない中、
ようやく作業所として使わせてもらえる場所を探し・・・・
こんな場所でできるわけがない!と思いながらも、プレハブ小屋を作りそこで作業をはじめた。
給料は月6千円。そしてその場で3千円を寄付していたのだそう。
みんなで畑を耕し
野菜を育て竹田の色々な場所に売りに行った。
悔しさややるせない思いもたくさん抱きながらも、楽しく前向きに進んできたのだそう。
それが「社会福祉法人やまなみ福祉会」の土台を築き
現在は、就労継続支援や自立訓練、グループホーム等も運営している。
そのやまなみ福祉会が新しい建物を建てる時に、ポンと大金を寄付してくださったのが松岡さんという方で
この方が、現在のみんなのいえカラフルのある場所に、長年住み”松岡金物店”を営んでいた方。
残念なことに数年前に亡くなられているのですが
「松岡さんの想いを引き継ぎたい」との想いで家を譲り受けたのが、川口さんなのです。
この文章を読むと立派そうな人に聞こえるのかもしれない。
だけど実際のよしのさんは違う。
小柄で腰がものすごく低くて、キュートでおちゃめで・・・・。
私はあんな82歳の方を見たことがないし、これからもよしのさんのような方に出会うことってないのではないかと思うくらい!!
そんな、よしのさんから学ぶことを伝えたくてブログを書いてる。
自分のことを「ADHDなんです」と言う。
よしのさんは、自分のことを「ADHDなんです」と言っている。
ADHD(注意欠陥多動性障害)は発達障害の一つで、不注意・多動性・衝動性 の3つの要素がみられる



(実は私も結構当てはまるのだけれど。笑)
診断を受けているわけではないけれど、そういわれると「た、たしかに」って思うことがたくさん!!
も〜〜!!って思うことも、たくさんあったり。
”発達障害” ”ADHD”という言葉はネガティブなものだと捉えられがちかもしれないけれど
それを全部プラスにしちゃっているのが、よしのさん!!
最強のおばあちゃんは、愛し上手で愛され上手。

よしのさんは、出会ってなから何回かこんな話をしてくれた。
「いつもね、亡くなった主人に怒られたの。”あなたの尻拭いをみんながしてくれてるんだから”って言われてね。」
と。
”尻拭い”という言葉がふさわしいかわからないけれど、よしのさんの周りには助けてくれる方や応援してくださる方がたくさんいる。
なぜ、多くの方がよしのさんを支えているのかと言えば
よしのさんの行動全てがが「人のため」だから。
衝動的な部分も多動な部分も、全て誰かのためを思っての行動だからなんです。
「あ!あの人の家に、○○とどけてくる」
「カラフルに梅の花を飾るときれいだから、今から山にとってくる!」
「〇〇さんみたいな人のためにカラフルでショートステイをしたらいい!」
そんな会話の終わりには既に右足が出て動き出している状況。
人のために時間を使える姿が素敵。

どこかで損得勘定しながら人と関わっていたり
誰かに尽くしても、見返りを求めてしまったり
下に見られたくなくて見栄をはってみたり
自分は”与える”ことを忘れているのに、受け取ることばかりに執着したり
あれが足りない、これが足りないと求めてばかりいたり
誰かのことを悪く言うことで自分の心を保とうとしたり
感謝を忘れて生きること
これらはよしのさんが絶対にしないことだ。
だからこそ
おっちょこちょいであっても、衝動的に行動する人だとしても
「も〜っ!」って思うことがあったとしても
よしのさんは周囲から支えられる存在なのだと思う。
純粋に目の前の「人」だけに焦点をあてて、その「人」のために動くのがよしのさんだ。
私は、絶対にこの方に一生勝てないと思うけれど
どこかで損得勘定しながら人と関わっていない?
見返りを求めて人と関わっていないか?
下に見られたくなくて見栄をはっていない?
自分は”与える”ことを忘れているのに、受け取ることばかりに執着していないか?
あれが足りない、これが足りないと求めてばかりじゃないか?
誰かのことを悪く言うことで自分の心を保とうとしてないか?
感謝を忘れて生きていない?
と、時々、自分を振り返りたいと思っている。
今みたいな世の中だからこそ
プライドもなく誰かのために尽くせるよしのさんのような方が
社会からもっと評価されることを願っている。
