こんにちは。オクユイカです。
日々の生活の中で、また色々な方とお会いする中で、つくづく
自分自身のことを「井の中の蛙だなぁ・・・」と思います。
「井の中の蛙大海を知らず」ということわざなのですが、知らない人っているのかなと思うほど有名ですよね。
そんな井の中の蛙状態を抜けようとして生きてきた10年間と、その結果について書きたいと思います。
ただの私の考えですが、自分を成長させたいって思っている方の参考になれば嬉しいです。
井の中の蛙大海を知らずとは
このことわざの意味は
狭い見識にとらわれて、他に広い世界があることを知らないで、自分の住んでいるところがすべてだと思い込んでいる人のことをいう。
小さな井戸の中に住む蛙は、大きな海があることを知らないという意から、物の見方や考えが狭いことを批判する場合に多く使われる。引用:故事ことわざ辞典
私はこれまで、私なりに、自分の視野を広げなければとおもって行動してきた。
30才になるまでは色々な場所で経験を積んで視野を広げる!って決めていたので
バイク日本一周をしたり東南アジアで一人旅に出かけ、
登山は嫌いなのにも関わらず、修行と称して九州一、日本一、東南アジア最高峰の山を登った。
福祉現場だけではダメだと思い、資格を取得して教育現場に入ってみたり違う文化の中で生活してみたり協力隊に参加してみたり・・・。
したいな!って思ったことはしてきました。
何かを壊したかったり、もっともっと知りたい・学びたいという好奇心や成長したいという気持ちで自分なりに行動をしてきたのだけれど・・・
”大海を知った”とは思えなかった。
若い頃のイメージは、
自分自身が、井戸から出さえすれば、
既に出ている人たちの仲間入りができるんだ!同じ景色が見えるんだ!
・・そんな風に思っていたと思うんだけれど。
実際はそうではなかったんですよね。
井戸の外には、まだいっぱい壁があった。
出ても出ても、知らないことが沢山あった。
むしろ、井戸から出ることで、新しい情報が入り、新しい壁を自ら作っているという感じでした。
私は10年で気が付いたことは
いつまでたっても「井の中の蛙大海を知らず」状態。笑
だということ。
ただ、いつまでたっても、井の中の蛙状態なんだって自覚できたことが良かったことだと思うんです。
井の中の蛙にいるという自覚があることで成長できる。
そもそも井戸に居る蛙が、なぜ、井戸からでないのかと言えば
・自分が井戸の中に居るという自覚がない。
・井戸の外があることを知っているけど出ようと思わない。
の2つだと思う。
既に、井戸の中に居ることを知っていて外に出ようと思わないのは良いけれど
”自分が井の中に居ることを知らない”ということでチャンスを逃しているのであれば悲しいですね。
自分を成長させたい!って思っている人のほとんどが、井の中の蛙だという自覚があるのではないでしょうか。
私も常々そんなことを思っていて、これから先も「自分を成長させたい」と思いながら生きていくのだと思うんです。
たとえ私が、一つ目の井戸を抜けても、本当はその外側に無数の井戸があるわけであり、
という満足感にいつまでも浸るのも、全てをわかったように語るのも違うということ。
外にはまだまだ壁があります。
一個乗り越えたくらいで、なにもわかっていないということ。
そこを自覚できるかどうかで、次の学びをどれだけ素直に吸収できるかが変わってくるように思うんです。
井戸の大きさは広くなったけれど、結局はその中にある情報のみで物事を判断して行動しているだけ。
だから改めて、狭い視野の中で生きているという自覚をもって行動したいなぁって思います。
「無知の知」っていうソクラテスの言葉そのものですね!
・・・終わりはないんですよね。
自分を成長させたいのであれば、自分が狭い場所にいるということを自覚して、他者や起こる出来事から謙虚に学ぶ姿勢を持つこと
そして、学んだことを自分でどんどん使っていくことが大事なのだとおもう。
そうやって、実際にアウトプットすることで自分の身になっていくのだとおもいます。
おまけ:「井の中の蛙大海を知らず」の諺の続きがあった!
この諺はもともと中国から伝わった言葉で、日本ではこの続きが作られたそうです。
それが
「井の中の蛙大海を知らず。されど空の深さ(青さ)を知る」
・・・・・なんだか、感動(´;ω;`)
これだけ情報の流れが速い中で、それについていくのって大変。
視野ってどれだけ広げればいいのかな?終わりがないのにいつまでがんばればいいの?
そんな風に想うことも少なからずあります。
だけど、この諺の続きを知って
”幸せも、満足する地点も自分が決めるんだな” と思った。
ずっと井戸の中に居る人でも、空を見上げて幸せを感じることができるのであれば、その人ってとても幸せだなって思うの。
井の中の蛙は大海を知らないけれど、上を見上げればいつでも空が広がっていて、空の深さを感じようと思えばいつでもできること。
今は、外へ外へ!という自分自身ではありますが、いつか空をみて「ここでいいや」って自分の居場所を決めるのかもしれない。
そんな気持ちになるまでは、流れのままに生きたいなって思いました。
・・・・
あ、ちなみに私が勝手に解釈して「なるほど!」と感動しただけであって、本当の解釈だと思われるものはまた少し違います。(笑)
本当の解釈はどんな意味?
”されど空の深さ(青さ)を知る”という解釈ですが、
見聞を広めれば広い世界を知り、浅く知識をつけることが、一つの場所にとどまるところで、より深い知識を得ることが出来るという事なんだそう。 引用:モノ太郎の雑学コラム
と書かれている文章を見つけました。
この解釈には疑問です!!笑
一つの場所に留まったとしても、見聞を広げない限り深い知識を得ることってできません。
見聞を広げようとすること=井戸を乗り越えるということだと思うんだもん。
誰がこの諺の続きを、くっつけたか分からないそうです。ということは解釈だって正しいかどうかわかりません。
なので、自分なりの解釈でいこうと思います。笑
おしまい。
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