過去から学んだことを書こうと思います。
目次
父親のこと
私には15年間会ってない父親がいる。
小学生のころ、私は、父に
「お前が生まれてきたからこの家はおかしくなった」
「生まれてこないほうがよかった」
とよく言われていたし、夜中、布団で寝ていても急に布団をひっくり返されるので安心して寝るとかよくわかんなかった。
それが私にとっての普通。
足を舐めろだの、口に舌を入れさせられたり・・・・命令はもちろん断れない。断るとどうなるかわからないから。
・・・うん、私の父親は変態だったんだろう。
父が暴れてひどい時は、兄と姉、母でタイミングを見計らって車にのって逃げてた。
あの時スパイダーマンのように車のボンネットの上にしがみついた父の形相と、それを振り落として車を発進させた母の必死さは、思い出そうと思ったら鮮明に思い出せる。
映画のワンシーンみたいな感覚。
そんな感じで、家出のたびに学校に数週間行けなくなっていた。
お皿が次々と投げられて割れる音、父親がゴルフバットで部下を殴っている場面、緊張しながら食べる晩御飯の場面。
もう、他人事のようだけど、今振り返ると小さいころの自分はよく耐えていたなと思う。
それが当たり前の家族の形だったので、何の疑問も抱かなかった感じかなぁ。
もちろん、母と兄と姉で旅行に行ったこととかもあるので、いい思い出も沢山あります!!(^^)
父親の逮捕
中学2年の終わりに、父が恐喝未遂で捕まった。
兄や姉は成人しており、未成年だった私がいるから離婚をしないのだとずっと申し訳なく思っていたので
「今のうちに、もうこの家から逃げよう。子どもはこの家からいなくなるけど、このままだとお母さんはずっと苦しい思いをしなくちゃいけなくなるから」と母に伝え、愛知県を離れることになった。
一週間のうちに転校等の手続きをすませたあと、車に積められるだけの荷物をつめて、私と母は車で大分に逃げた。
それから数か月後、私は父親に見つけられ、追いかけられたことがある。学校帰りだったのでめっちゃ必死で逃げた記憶。
それが父に会った最後。
母との二人での生活
大分での生活がやっと落ち着いてきた時に、私がレズビアンだということで母との仲がものすごく悪くなりました。
病院に連れていかれそうにもなった。そんな経験をしているうちに
「そのままの自分でいる=愛されない→頑張り続けなければいけない」
という公式が出来上がりました。
これの何が怖いかというと、無意識にそういう公式をつくっているいるということ。
だから、そのことに違和感がない。当たり前のことなのである。
無理をして頑張っていた。認められるために、愛されるために。
摂食障害
その結果かどうかは、はっきりわからなけど、私は摂食障害になった。
太って醜くなったら存在する意味もないって思っていたんだと思う。自分に完璧を求めた結果だと思っている。
その摂食障害は10年間私を苦しめました。
食べて吐いての繰り返しは、地獄でしかなかったし何をどう工夫しても、治せなかった。一日の大半、頭の中は食べ物で支配されているような状況。
「なんで色々頑張れるのに、食べることを我慢できないの?」「コントロールできないのは甘え」そうやって言われても、治せないので、どうしようもなかった。
その欠点を補うかのように、私は強さを周りにみせていたと思います。
池辺のおっちゃん
摂食障害のことが関係して、情けないことに警察にお世話になったこともある。
ついに、どん底にきたと思った。
これで、全てが終わる。と思ったのだけど、私の摂食障害は治らなかった。
そんな時に出会ったのが池辺のおっちゃん。元刑事さん。
一回しか会ったことないその人は、泣いている私に、
「大丈夫、あなたの目は腐っていない。沢山の悪いやつを見てきたおっちゃんが言うんだから間違いない!!」
本来責められるべき私に、そういう言葉をかけたのである。
産まれて初めて、そのままの自分を受けれてもらうという不思議な感覚を味わった。
摂食障害がすぐに治ることはなかったけど、大きなきっかけになった。
自分の心を無視していた自分に気がついた
圧倒的に足りなかった自己肯定感
過去に何があったとか、どーでもいいんです。みんなそれぞれ様々な事情を持っているのも知っているから。
ただ、たとえそうやって割り切れていて、乗り越えたと思っていても、足りないままの自己肯定感をそのままにしていると、後になって自分の人生に大きな影響を及ぼすのだと思う。
私がそうでした。
自己肯定感とは、自分の良いところも悪いとこも含めて肯定できる感情のこと。生きる価値があるんだと思うことができる感情のこと。
これ、ほんっと大事!!私は子どもと関わる時に一番大事にしていることと言っても過言ではないくらい、大事だと思ってる。
自己肯定感が足りていなくて、苦しんだから経験があるからこそ、自己肯定感を育てていく関わりをしています。
無条件に愛されることの不足
頑張る自分じゃないと周りから愛されないと思っていたし、成果がでなければ自分の価値がないと思っていた。
それが、池辺のおっちゃんの一言で変わったし、もしあの時に否定されていたらどうなっていたかわからない。
だから、子どもたちにはたくさん「すき」って伝える。無条件に。
摂食障害は自分の心からのSOS
摂食障害が完治した今だから思うのだけど、摂食障害は10年もかけて、私に「無理しているよ」ということを教えてくれていたのだと思う。
その心の声に気がつくのに10年もかかってしまったのだ。
精神的な疾患はきっと色々あると思うけど、それは体からのSOSなんだって私は思っています。体がちゃんと正常に反応したからこそなんじゃないかなぁって。
過去から学んだこと
父がいなかったら今の私はいない。
過去の経験は今の自分を作っていると思っています。父親のことを否定も肯定もしないけど、ただ、ありがとうって思う。
父親がいて、びくびくしながら食べた晩御飯。摂食障害で食事を楽しめなかった10年間。 だから、ご飯を「おいしい」って安心した気持ちで食べられるってすごく幸せなことだって思っている。
好きな人とその時間を楽しみながらごはんを食べるとかって、もう最高の贅沢ですよね!!!笑
幸せを感じる沸点が低いので、毎日の中に沢山感動があって幸せを感じることができます。
弱い自分も自分
そのままの自分を受け入れてくれる存在ってものすごーーーーく大きい。別に家族じゃなくたって、恋人でも友達でも・・・・池辺のおっちゃんのように初めて会った人でもいいんだと思う。
たった一人でもいいんだと思う。私も誰かのそんな存在になれたらうれしいです。
そのままの自分を自分自身が否定することも無くなりました。 悩む自分も、ぐうたらする自分も、頑張らない自分がいても、自分自身にマイナスな言葉はかけない。
誰かに「お前はダメなやつだ」って言われるのと同じように、自分自身がそんな言葉を自分にかけ続けていると必ず影響がでてくると信じているので。
誰に何と言われようが「自分は最高!!」って自分に言って、自分自身の味方でいようと思います。
時々、弱い人を責めることで上に立とうとする人、価値観を押し付ける人、強さを求めてくる人に出会うこともありますが、
相手にするエネルギーが勿体ないから「そうですね」って話を合わせて逃げてます。笑
自分で自分を守らなきゃ。
私はめちゃくちゃしあわせもの。
今、私は楽しくて充実した日々を送っています。協力隊活動は壁も沢山あるけれど、そんな状況も含めて”楽しい”って思える。
母とも理解し合ってからはお互いを尊重した関係を保てているし、二年間の間に甥っ子や姪っ子もできました。
そのままを受け止めてくれるパートナーもいる。
たくさんの人に助けられ、支えられて、私は今の自分がある。本当にありがたいことですよね・・・・
好きな人や家族と、時間を過ごせるだけで幸せ。
色んな出来事があるし、色々な感情も湧き出てくるんだけど、そもそも生きているっていうことが幸せって思う。
社会の役に立つことをしていく。
今の私がいるのは、人に助けられて、支えられてきたから。
だから、同じような境遇の人であったり、自分を抑えこんで笑えないでいる人がいるとしたら、今度は私が返す番なんです。(恩送りって言いますね)
自己肯定感がないということが根本の原因で、社会に出てなにかを起こしても、「犯罪者」という扱いになり、社会は優しくない。父もその一人だったのかもなぁ~笑
だから、そうなる前が大事って思っています。
特に、障がいのある方は自己肯定感の低い方が多い。だから輝ける場所をこれから創っていきたい。
自分も楽しむっていうことを忘れずに(^^)
過去にどんなことがあったって、関係ないんですよね。ひねくれるきっかけは沢山あったけど、ひねくれた所でそれは全部自分に帰ってくる。
過去の経験があるから、私はこう生きていくんだ!って前を向いて歩いていきます。
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