生きる意味がわからない。生きる価値がない。と思っている人へ。

こんにちは。オクユイカです。

突然ですが「人が生きる」とはどういうことなのだろうと考えることってありますか?

私は常々、そんなことを考えて生きています。(自分でも面倒くさい脳みそだなぁと思ってます。笑)

考えるうちに気が付いたことがあったので、生きる意味や生きる価値がわからないと今現在悩んで辛くなっている方に読んでもらえたら嬉しいです。

生きる意味も生きる価値もわからない。

思春期のころには自分自身が「なぜ生きるのだろう?」と考えることも多く、意味も見いだせなずにいました。

”辛いことばっかりだし、色々な感情があふれてくるのも面倒くさいし・・・別に自分一人がどうなったって世の中に影響ないし。。”

今は愚問だなぁと思うけど、思春期ってそんなもんだよね。思春期じゃなくても悩む人は多いと思う。

 

私もそんな中の一人だったんだけれど、その考えを変える、あるきっかけがあった。

 

19歳の時に、重度の知的・身体障がいのある方が入所されている施設に介護の実習に行った時に、私はそこの利用者さんたちをみて

「なんで、この人たちは生きているの?」と、彼らの生きる意味や生きる価値を勝手に考えてしまったことがある。

自分の中からの問いに、”あ、これはいけない感情だ”と思ったので、どうにかしなきゃと思ったし、そうやって思った自分に嫌悪感も感じてました。

 

だけど、その時のことを振り返ると、
 

生きる意味や価値というものを“できる”“できないか”で判断していたから、そんな問いが出てきただけだと思うんです。

 
自分でご飯を食べられない。トイレにも行けない、歩くこともできない、会話の内容もわからない、快・不快しか表現できない。

沢山見えてくる「できない」面のみが積み重なって、“なぜ、生きているのか”というひどい問いになったのだと思う。

 

だけどね、これって、自分自身にもそうだったの。

自分自身の生きる価値も“できる”“できない”で判断していたからこそ、自分の失敗は許せなかったし、できない自分を受け入れられなくて。

”できない”自分は、生きる価値がない!って、決めつけていたんだと思います。

 

自己弁護するつもりはないけれど、自分の生きる価値の判断基準も学校現場にいる時から身につけてきたもの。

人より頑張って勉強することで結果が出た時は、人より上に立った優越感に浸り、得意気な顔をしてました。
 

テストの点数や通知表等で、大人から“できる”か“できない”かで判断されること、褒められたり叱られたりすることも多かった。

 

私だけでなく、多くの方がそのような中で育ってきたのではないかと思うのですが、・・・どうでしょうか。

 

”できる”、”できない”を生きる価値にしてしまうと、生き辛くなる。

できるorできないか を生きる価値や意味にしてしまうと、世の中がとっても生き辛くなるのだと思います。

あの人より勉強ができる、あの人より仕事ができる。 という比較の中で自分の価値を見出してしまうと、うまくいっている時はめちゃくちゃ調子よくて自分のことが大好きでいられるのですが、

そうじゃなくなった時に、絶望的な気持ちになったり、常に頑張っていることに疲れだしてしまうのではないかと、今は思う。

(人それぞれなので、焦りや苦しみがプラスに働くのであればそれはそれでいいと思ってます)

 
他者に対しても、できるorできないで相手のすべてを判断をするとお互いが苦しくなるのではないかな・・って思います。
 
 
そんな事を考えている時に、フッと浮かぶのは、最初に書いた施設に生活されている重度の知的・身体障がいがある入所者の方たちの顔。

他者からのちょっとした関わりで思いっきり笑顔をみせてくれたり、言葉でコミュニケーションができなくても、嫌な時は嫌な表情をする。

何と言えばよいのかわからないのですが、、
 
 

そのまんまの、その人で、その場にいたんです。

 

 

できることは少ないのに、なんでこんなに魅力的で人を引き寄せるパワーがあるんだろう??と不思議でたまらなくなっていきました。
 

私自身も「なんで生きているの?生きるってどういうこと?」ってすごく考えこんだ後、彼らが発するサインや笑顔に魅了されはじめ、目指していた進路を変更し、そこに就職させてもらうまでになってた。

 

きっと、「そのまんまのその人で、その場にいる」ということそのものが魅力的だったのだと思うんです。
 
私自身が、そのまんまの自分で生きているとは言えなかったから憧れを持ったんだよね、たぶん。

 

いまだに、憧れの存在だし、自分の人生を変えちゃうくらいのパワーがあるんだからすごいなって思っています。

彼らからは、本当に大切なことを教えてもらったなぁ・・。

 

あ、でも、決して、”障がいがあるから” っていう訳ではなくて “そのまんまで生きている人”がそこの利用者さんだっただけ。

だから今でも、私が憧れをいただくのは、地位とか名誉とかどれだけお金を持っているとかなんていうものは全く関係なく
 

“そのまんまのその人らしく生きている人” や
 

“そのまんまのその人らしく生きようとしている人” なんです。

 

主婦だったり、農業してる人だったり、社長さんだったり、保育士さんだったり、様々(^^)

そんな、カッコよすぎる人が私のまわりにはたくさんいます。

スポンサードリンク



 

自分らしくいられれば、それでいいんだ。

強くありたいとも思わなくなったし、名誉とか地位とかもどうでもいいし、じゃぁ、私自身はどうなりたいのかと考えたら、私は、自分のままでいたいってだけでした。

すごいシンプルだよね。

他者からつくられる自分ではなくて、自分がおもう自分でいられたら幸せだと思うんです。

求められたら、それに応えることも大事だけれど、自分をなくしてしまうくらい頑張る必要はないと思う。

 

組織に所属するか、組織に所属しないかで迷うこともあるけれど、自分がおもう自分でいられたら、そんなの関係ないっていうことにも気が付きました。
 
 

「今の場所にいたら、自分がおもう自分でいられるのか?」
 
「今の職場で、自分がおもう自分でいられるのか?」
 
「そもそも、自分がイメージする”自分“ってどういうものなのか?」

 
 
そんな問いかけをすることは大事で、その人がその人らしくいられれば、大正解。
 

また、色々な基準を”自分がおもう自分でいられるかどうか”に変えてみたら、

必要な我慢と、そうでない我慢がわけられるようになったし、自分の弱みも出せるようになりました。

 

でね、弱いところ出したら周囲の人なんて一人残らずいなくなるだろうってマジで思っていたんだけど、

そんなことなくて「同じことで悩んでいた」「あの記事読んで元気になった」という人があらわれるようになったんです(゜-゜)

僅かでも、そう思ってくれる人がいることが知れると、やっぱり嬉しい。ブログ書いていてよかったなって思います。

 

それに、意外なことにこれまで仲良かった人たちと、もっと心が近くなりました。(自分が勝手に壁を作ってただけ)

 

怖いかもしれないけれど、自分の弱さをちょっとでも出してみると、何かが変わるかもしれないです。大切な人が誰かがわかったり。

今の場所が苦しいのなら、勇気を出して変えてみるとよいかも。
 

世界ってホント広い!

どうか、できるorできない だけで自分自身の価値も、周りも判断しないでほしいなって思います。

 

おわりに

生きる意味も生きる価値もいまだにわからないし、意味も価値も見出そうとうすること自体がどうなんだろう?って思うけれど、

今、ここに居るから生きる。  ただ、それだけなんじゃないかなって思います。
 

私の気持ちをつらつらと書いてしまいましたが・・・あくまでも私の考えです。正解はわかりません。

ただ思うのは、

私は、私らしくいたいなっていうこと。

”もう大人なんだから””もうこんな歳だから” という言葉や社会から求められるイメージに合わせて、自分らしさを見失うのは嫌だなって思っています。

おしまい。

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

スポンサーリンク
このブログの運営者


おく ゆいか。 

介護福祉士→発達障害関係のNPO法人→特別支援学校教諭→退職して青年海外協力隊etc...

”みんな違ってみんないい” を実現する社会をつくるために、現在はフリーで福祉・教育分野で動いています。

田舎暮らしが憧れ。

レズビアン当事者として大分県内でちょこっと活動中。

コメントを残す