青年海外協力隊参加で学んだ6つのこと。英語ができなくても大丈夫!

こんにちは、おくゆいか(@Saba0m)です。協力隊に参加しようと思った時、気になることの一つが語学。

語学が心配な方、大丈夫です!!

 

だってね、最初に受けたトイックは200点前半。(中2レベルです)

本当に、脳みそがよろしくないんですよね・・・・。

 

そんな私でも、なんとか協力隊参加の切符を手にいれ、二年間の活動を終えようとしています。

英語ができないから無理かなぁと思っている方、英語ができるできないに関わらず

まず、挑戦してみる!

ってことが大事だなと思います。

 

挑戦することで沢山の成長を味わうことができたから、行ってよかったなぁと本当におもう。

今日は、協力隊に参加することで得られた6つの学びについてかきます。

青年海外協力隊は最高の自己成長の場

学び1:たくさんの人との出会いの中での学び

協力隊の試験に合格!!といっても、すぐに任地に派遣されるわけではありません。

駒ヶ根訓練所、二本松訓練所のどちらかにて、約2か月の訓練を受けることになります。

私は二本松訓練所でした。

26年度2次隊、二本松訓練所での訓練生は180名。

そのうち20数名ほどがシニアボランティア。

 

ただの180名ではありません。

 

協力隊に参加をしようと行動をした180名です。

雰囲気が違います。

大学を聞くと、誰でも知っている有名大学の名前・・・・

「国連で働くことを目指しています」とサラッという方たち・・・

私は今まで、そういう方たちと関わった経験がありませんでした。

生活班や学習言語が同じ人意外の方とはなかなか接点がありません。(生活班とは10人前後に振り分けられたメンバーで、同じ棟で生活します。)

なので、どーしても話したい方には、ラブレターを書いて渡しました。

ラブレター!おすすめです。

「障がい者支援の話を一緒にして学ばせていただきたいです。お時間があるときに一緒に食事でもどうですか?」というような内容と連絡先を。

 

協力隊の隊員はその道のスペシャリストや、モチベーションの高い方ばかりです。

普段かかわることのないような人たちと共に学び合う時間はかけがえのないものになりますよ!

価値観を広げるチャンスにしましょう。

 

学び2:自分の劣等感と向き合い、消化することができた。

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物凄く頭のいい方、訓練所に入る前から英語ペラペラな方、何か一芸を持っている方が多い。

その中で「私ってなにもできないなぁ」と落ち込むことも。

ちなみに、私は現役東大生と机を並べてマレー語を勉強していました。

時間的には確実に私の方がマレー語の勉強をしたという自信がありますが、テストの点数など、大差で負ける。

がんばってもがんばっても差が開いていく焦り。

 

うん、ほんと焦っていました。焦るとね、自分を見失う。

 

これまで関わったことのないような天の上の方たちの中に自分がいる違和感が常にありました。

その時の正直な気持ちはというと・・・・・・

なんで、私が生きることに必死だったあの時に

彼らは親のお金で海外に留学して経験値をつめているんだ?

なぜ人生にこんな差があるのだ!!?

つまり、ただの学歴コンプレックスですね。性格悪いですね笑 

 

でもね、その中で自分の位置を見付けようと、自分と向き合ったの。

「私も、協力隊に合格したのだから、同じラインだ」

「私には私の26年間があるんだから」

 

劣等感の中、”自分自身をあきらめない” という意識がつきました。

 

でね、周りの人と話をすると、私がすごいなぁと思っている人でも、劣等感を持っていることがわかったんです。

割とみんな同じこと思ってるんだって。

逆に、私が当たり前に話したことでも「そんなことできるなんてスゴイ!」と言ってもらえることも。

 

自分では自分の良さに気がついていなかったりするんです。

「自分は自分の良さが必ずある」

 

そうやって思えたことは大きな収穫でした。

訓練所で同じ思いをしている方がいるとしたら伝えたいです。

 

あなたにはあなたの良さがある。それがあるからこそ、今あなたは訓練所にいるんだ。ということを。

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訓練が終わったあとはいよいよマレーシアでの活動です。

一ケ月の現地語学訓練を終えて、任地であるサラワク州へ。

学び3:役割を与えられることで人は強くなる ということを知った。

日本では、与えられた仕事をこなしていました。

それが、ここではすべて自分で考えて行動です。(これは要請内容にもよります)

”サラワク州の特別支援教育を良くする” こんな大きな役割を与えられた私は、

どうしたらよいのか?

当たり前に日々を過ごしているだけでは何も変わらないよ?

ということを自分に問いかけて「二年後に嬉し泣きをして帰ること」という目標を立てました。

具体的にどうしたらよいかなんてわからなかった。

でもね、私自身も支援学級の中に入り、子どもたちと関わったり、先生方と接する中で、必要なことが見えてきました。

”サラワク州の特別支援教育を良くする”  この意識があったからこそだとおもう。

 

どうしたらサラワク州の特別支援教育が良くなるの??

多くの子どもたちが怯えずに学校で生活できる?

楽しく学ぶ姿が見られるようになるの?

 

って考えまくりました。

その結果①ワークショップの実施

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巡回している学校も含め、全部で9回のワークショップを実施しました。

各学校の状態に合わせて内容は変更。

 

人前で話すのは得意ではありませんが、そんなことを言っていたら

”サラワク州の特別支援教育を良くする” ことはできないので

やるしかなかった何度も繰り返すうちに心が慣れていきました。

 

その結果②Facebookグループで教員や支援員を繋げる。口コミで広まり300人ほどの参加。

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サラワク州って広いんです。

私が二年間で回れる学校は限られています。

 

そのためFacebookのグループを使って、情報発信を行いました。

現地の教員と協力して、支援方法に関するビデオを作成したり・・・今では現地の教員も投稿してくださっています。

 

こんなことを思いついたのも、すべて、”サラワク州の特別支援教育を良くする” という意識があったから。

その結果③障がいのある方に関する全ての方を対象にしたフォーラムの実施。

日本から応用行動分析の専門家である今本繁先生をお呼びしました。3日間で500人が参加。

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二人の同クチン隊員や州の教育局、州の福祉局、州立図書館・・・・

多くの方に協力を求めて助けてもらった。

 

資金集めのために、クアラルンプールにあるマレーシア教育省にも足を運びました。

 

政府に一人で行くだなんて、マレーシアだからこその経験ですね。

 

なんでそんなに必死だったかというと、やっぱり・・・”サラワク州の特別支援教育を良くする”それしかないです。(何回言うんだ。笑)

 

他にも、サポートブックの作成や支援方法に関する本の翻訳など、通常の学校での活動の他に続けてきました。

私は気が付きました。

 

役割があったからこそ、自分は進めたということに。

 

この視点を持てたことは非常に大きいです。

 

日本にいたら、こんなに大きな役割を背負うことなんて中々ありません。

 

役割を達成しようと精一杯動いた結果が、成長につながりました。

 

学び4:一人ではなにもできないことを知ることができた。

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これも、かなり大きな成長!!

日本にいる時は

「人に頼ったら迷惑がかかる・・・・」

「なんでも一人でできなくちゃ!!」

そんな意識が大きかったです。甘えられなかった。

 

でも、海外で何かをするとなると、誰かを頼らなければ何もできないんですよね。

言葉も伝わらない、文化も習慣も違う・・・・。

海外に行ったばかりの頃は、赤ちゃんと同じ状態です。

当たり前のようにしたことが、相手には失礼だったり・・・・。笑

 

数々の失敗もした。

 

一人で踏ん張ろうとすると自分が潰れそうになります。

そんな中、人に頼ると助けてくれる人が沢山いたんですよね。

例えば、上に書いたフォーラム。他隊員やマレーシア人の協力がなければ間違いなく実施できていません。

それぞれ、持っている能力が違う。

だからこそお互いの良さを生かして創り上げていくんだって、学びました。

やることはやりました・・・けど自分がサラワクの為に何か結果を残せただなんて思いません。

 

もう、ほんと・・・何もできなかったんです。

残ったのは、色々な場面で多くのマレーシアの方が助けてくださったことに対して感謝の気持ち。

一人では何もできない。

だから帰国したら本気の仲間を見つけて一緒に進みたい。周りに感謝して生きたい。

そう思っています。

学び5:改めて自分を見つめなおすことができた。

教員を退職した時に、一回すべてを切って、今後なにに命を費やすのかもう一回考えようと思っていました。

お金とか安定とか完全になくしてみたら、自分のしたいことって何かな?と。

私には、20歳の時に決めて進んできた目標がありますが、それすらも一回疑うことからスタートしました。

赴任した時から帰国後のことを考えた二年間だった。

 

日本と違って、任地の時間の流れはゆったりで、すごく時間があった。

働く時間が短いし休みが多いんです。頭の中を色々な考えがグルグル。

そのたびに紙に書きだし・・・
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もし、仕事に追われて考える余裕のない方、協力隊はお勧めです!!!

ボランティア活動をしながら、新しい文化や習慣に触れ、自分を見つめなおすいい機会になると思います。

 

学び6:常識は、あくまでも「日本の中での常識」なのだと気がつくことができた。

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日本の常識はきびしすぎるーー笑

相手に完璧を求めすぎるーーーーー笑

上下関係厳しすぎるーーーーーーーーー笑

働きすぎるーーーーーーー ーーーーーーー笑

 

もちろん、良さもあります。

日本人は働きものだ!と海外からも認められていますし、日本製は安全・安心だ!と、マレーシアの人は信用しきってます。

反対に「日本人って働きすぎて自殺するんでしょ?」と言われることもしばしば。

過労死について、マレーシアの新聞にも載ってたことがあります。

日本にいたら、それが当たり前だと思うし、それについていけない自分がいると、

「ダメだな」と思ってしまうこともあると思いますが、本当はそうじゃない。

 

日本人が完璧を求める国なだけ!

 

あんな厳しい中で生きているんだもん。疲れることもあるのって当然です。

 

私が学校で、イスに座らずに教材を作っていると、

「そんなに働くとストレスたまるよ!一緒に休憩しようよ♪」

マレーシアの方はイスを持ってきてくる。

 

私の任地では仕事の質よりリラックスして生きることを大切にしてるんですよね(イスラムの教えも絡んでいる)

 

日本の常識は日本の中で通用するだけのものであり、常識にとらわれて自分を苦しめる必要はないということを教えてくれました。

青年海外協力隊を自己成長のきっかけに。

新しい場で行動してみると、新しい自分にも出会えます。

海外での生活はリスクがあるにせよ、JICAは安全にも注意を払っているので、一人で行動するよりは安全が確保されていると思います。

マレーシアはイスラム国なので、「ハリラヤ明けの週末、テロが起きる可能性があるので、○○には近づかないように」そんな連絡がしょっちゅう入りますよ。

一人旅よりよっぽど安心安全。

 

参加して本当によかった!!

任期短縮も頭に浮かぶくらい色々あった二年。

振り返ると本当に来てよかったと思っています。

きっつい二年になるかもしれませんが、ものすごい価値のある二年間でした。

二年前にたてた目標「二年後に嬉し泣きをして帰ること」ですが、悔し泣きも嬉し泣きもあった二年でした。

本気だったからだと思います。

もう二回目は参加しなくていいって思いますが、とても良い経験でした。

興味のある方、思い切って参加してみてくださいね。おすすめします!!

コチラの記事で、応募からの流れを書いているのでよかったら参考にしてください。

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おく ゆいか。
介護福祉士→発達障害関係のNPO法人→特別支援学校教諭→退職して青年海外協力隊etc...
”みんな違ってみんないい” を実現する社会をつくるために、NPO法人TetoCompanyを設立し
大分県竹田市にて地域の交流拠点や福祉事業を運営。
小心者でおっちょこちょい。
LGBTサポートチームココカラ!共同代表。LGBT当事者として大分県内で講演活動等もしてます




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